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2012年9月 7日 (金)

70年の沈黙を破ったドイツの精神科医たち ②

「安楽死計画は整然と執り行われました。国内の全精神病院と全障害者施設は、本部から送り付けられた文書に、入所者全員の障害程度を克明に記入して提出することが義務づけられていました。これに基づいて、鑑定を請け負った精神科医たちが殺す対象を選びました。国内何百もの病院や施設から6つの殺人拠点に障害者を運ぶのは、患者搬送公益有限会社の大型バスです。ハダマール精神病院の裏にはいまも、降車場所に使われた木造車庫の屋根の部分が残されています。患者運送バスを降りた一団は一階ホールで『お疲れでしょ。汗を流してくつろいでくださいね』とフーバー婦長にいわれて衣服を脱ぎます。地下のシャワー室に案内されると、鉄の扉が閉まります。お湯の代わりに、壁を這う管の小穴からCOガスが噴出します。そして…20分ほどで全員が絶命します。」(大熊一夫「障害者問題の原点ナチス安楽死計画」 『大熊一夫の特ダネ画廊』より)筆者は現在、大学の人文系の学部で教鞭を取っているが、学生たちに「ナチによって虐殺されたのはユダヤ人だけではない。同じドイツ人でも、障害を持っている人、同性愛者や政治犯なども虐殺の対象になった」と述べてT4作戦を紹介し、「病気を治療のために入院している病院で、命を守ってくれるはずの主治医らによって選別され、何も疑われずに殺されて行ったのだ」と話すと、学生たちは「知らなかった」と衝撃を隠さない。





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