731部隊による細菌戦 ①
ノミをペスト菌に感染させ飛行機から投下する方法は、ペスト菌を空中から投下すれば、菌は死滅するという、当時の世界の生物学会の常識を超える731部隊の独自の発明であった。ハルビン郊外の平房にあった731部隊の通称 ロ号棟のなかには、第1部・細菌研究部(部長は菊池 斉)と第4部・細菌製造部(部長は川島 清)が置かれたが、第1部のペスト菌研究の責任者は高橋 正彦であった。彼が1940年農安・新京ペストの調査を行い報告書を作成するのである。第4部のペスト菌製造の責任者は野口 圭一であった。部長の川島清は、ハバロフスク裁判所(1949/12)で、ノミの大量繁殖のために平房の第2部に4つの特別室があり、30℃に室温保持され、2~3ヵ月の製造周期に45kgのノミを採ることができたと述べたあと、次のように答えている(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』 外国語図書出版所、1950年、300ー302頁)。(問)細菌戦ノ際、此ノ蚤ヲドウスル積リダッタカ?(答)ソレハ、ペスト菌デ汚染サレル筈デアリマシタ。(問)ソシテ、細菌兵器トシテ使用スルノカ?(答)ハイ、其ノ通リデアリマス。(問)ペスト蚤ヲドンナ方法デ、細菌兵器トシテ使用シヨウトシタノカ?(答)私ノイタ時ハ、蚤ヲ飛行機カラ投下スル方法ガ最モ有効ナ方法デアルト看做サレテイマシタ。(問)中国派遣ノ時モ、蚤ヲ飛行機カラ投下シタカ?(答)ハイ、ソウデアリマス。(問)ソレハ、ペスト菌デ汚染サレタ蚤ダッタカ?(答)其ノ通リデス。中国ニ於ケルペスト蚤ニヨル細菌攻撃ハ、ペスト流行病ヲ発生セシムル筈デシタ。防疫給水部は、ハルビン(平房)の731部隊のほかにも、中国各地につくられた。1940年までには北京(「甲」1855部隊)、南京(「栄」1644部隊、多摩部隊)、広東(「波」8604部隊)にでき、それぞれが数支部から十数支部を持っていた。日本軍がシンガポールを占領すると、シンガポールにも南方軍防疫給水部(「岡」9420部隊)を設置した。これらの部隊は、731部隊が関東軍司令官の指揮下におかれたように、それぞれ北京が北支那派遣軍、南京が中支那派遣軍、広東が南支那派遣軍、シンガポールが南方派遣軍の司令官の指揮下にあった。このように中国各地に細菌戦実施の組織が網の目のようにできていたのである。
|
« 金子順一 論文の発見 | トップページ | 731部隊による細菌戦 ② »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ポストコロナ医療体制充実宣言 ①(2024.01.04)
- Report 2023 感染症根絶 ④(2023.11.30)
- Report 2023 感染症根絶 ③(2023.11.28)
- Report 2023 感染症根絶 ②(2023.11.24)
- Report 2023 感染症根絶 ①(2023.11.15)