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2012年9月17日 (月)

農安、新京のペスト流行について ①

高橋正彦論文とは高橋が『陸軍軍医学校防疫研究報告』第2部の論文を合本し、1949年慶応大学に医学博士号取得のために提出したものであり、2000年9月慶応大学医学部倉庫で発見された(『朝日新聞』2000/09/09夕刊)そのうちで特に金子論文と関連するのは、高橋「昭和15年農安及新京ニ発生セルペスト流行ニ就テ」第1編~第5編である。1940年6月、PXが農安の地上で散布されると、ただちに高橋正彦は農安に向かったことになる。高橋は「昭和15年6月カラ11月ニ至ル農安ペスト流行時ニ其ノ流行ノ根源地ニ至ル農安街ニ於ケル住人ニツキペスト皮膚反応ヲ検査シ、之ヲ地域別、性別及年齢別ニ観察セルニ極メテ興味深キ成績ヲ得タリ」と書いている。そして、高橋は、はやくも1940/07/02と1940/07/15に農安の腺ペスト患者の腺種から菌株を分離している。さらに、高橋は農安の下水溝のノミ、ネズミの有菌性を地域ごとに詳しく調べ、感染経路を明らかにする調査をし、「ドブネズミ間ノ病毒ガ人ペストノ直接ノ伝染源トナッタ。」「蚤ヲ介シテ人ニ伝播サレタモノ」(「高橋正彦ペスト菌報告書」)と結論付けている。農安のペスト発生により合計353人が死亡した。1940年9月下旬には60キロほど離れた「満州国」の首都新京(現在は長春)にも感染した。1940/10/07に現れた731部隊は、「関東軍臨時ペスト防疫隊」として活動する。この防疫隊の本部長は石井四郎、他に満州国、満鉄(南満州鉄道株式会社)の要人が本部を形成し、1940/11/07に新京から平房へ撤退するまで1ヵ月間新京に滞在した。満鉄が派遣した医師は145人、満州医大生も147人が新京に派遣された。このように、731部隊が新京・農安に出動して防疫活動をしたのは、浙江省における細菌作戦から眼をそらすための陽動作戦だっただけではない。731部隊は防疫活動の中で新たなペスト菌株を得たのである。





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