プリンツホルン・コレクションをナチは悪用した。
ナチが行った精神障害者への蛮行は、T4作戦にとどまらない。直接、命にかかわることではないといえ、精神障害者への芸術療法やその作品(アウトサイダー・アート)
を研究する筆者(香山リカ)には、どうしても見過ごせない問題がある。ナチが政権を取る前の1920年前後、ドイツの精神医学の名門・ハイデルベルグ大学の助手であったハンス・プリンツホルンは、精神病患者と芸術性や創造性との関わりを研究し、ドイツ国内を中心に世界中から作品を収集した。それらの作品を異常と判断したり診断の材料として使用するのではなく、そこに独自の価値を見出そうとし、著作『精神病者の芸術性』にまとめた(1922)。その著書と膨大な作品群(プリンツホルン・コレクション)は、当時、精神医学者よりもむしろフランスのジャン・デュビュッフェを始めとする多くの芸術家に衝撃を与えたと言われている。ところが、ナチが政権を握ると状況は一変する。ナチの天才広報マンと言われた宣伝相ゲッベルスのもと、1937年「頽廃芸術展」なる大がかりな芸術展が企画され、ドイツ・オーストリアの13都市を巡回した。この目的は、古典以外の近代芸術、とくに前衛的なダダイズムやキュービズムなどを否定し、ドイツ国民の「美の基準」を統一することであった。背景にあるのは、「髪はブロンド、色白で健康的な身体を持ったゲルマン民族のみが美しく、何としてもその純血性を保たなければならない」という価値観を国民にすり込むことにあった。そして、この「近代芸術絶滅・国民浄化キャンペーン」を挙行するにあたり、古典以外の芸術の価値を貶めるための格好の手段として目をつけられたのが、プリンツホルン・コレクションであったのだ。展覧会では、クレー、モンドリアンなどの絵画や彫刻とともにコレクションが「狂人の絵」として展示され、これらがいかに「狂気、厚顔無恥、無能の産物」であるかが強調された。その後、90年代になって同様に確立されたアートとアウトサイダー・アートを並べて展示する「パラレル・ヴィジョン展」と展覧会が企画されたことがあったが、言うまでもなく、ここでは共通点があることでアート、アウトサイダー・アート、双方の価値は高まりこそすれ、貶められることなどまったくなかった。しかし、その半世紀前には、「シュールレアリズムの絵画はまさに精神病者の絵そのものだ。こんなものは芸術ではない」「どちらもまったく理解不能だし、美しさからかけ離れた無価値なものだ」と嘲笑され、非難されていたのである。
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