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2012年9月 9日 (日)

司法の場で裁かれる戦争医学犯罪として

それにしても、プリンツホルンが精神障害者の芸術性への深い敬意を持ちながら集めたコレクションが、なぜやすやすと「前衛芸術と障害者をあざ笑う手段」として差し出されることになってしまったのだろうか。理由は二つある。一つは、当のプリンツホルン自身が1933年に世を去っていたことだ(しかし考えようによっては、たとえ存命でもコレクションを供出させられることは避けられなかっただろう、わが子のような作品群が「頽廃芸術展」に並ぶのを見ずに亡くなったのはむしろ幸いだったと言える)。もう一つ、ハイデルベルク大学の精神科主任教授の座にあったカール・シュナイダーは、ヒトラーの参謀といわれるほど中央政権に近い人物であったのだ。シュナイダー教授は、1939年の講演「頽廃美術と狂気」で次のように述べている。「頽廃芸術はまさに病人の美術にはかならない、精神病患者でなければ、狂気の美術と殆ど区別のつかない『芸術産物』などを制作することはできない。健常者には不可能な頽廃芸術の制作者は、生物学的に精神病者に近く、異常者と内面的に類似性を示す。」ナチ政権の崩壊とともに、もちろん前衛芸術や障害者の作品を「頽廃芸術」と呼ぶ潮流も消滅した。しかし、巡回展そして政権崩壊に伴う混乱の中でプリンツホルンが精魂込めて集めた作品群は傷んだり紛失されたりし、戦後、再び回収して修復され同名のコレクションとして展示されるようになるまでは、長い時間を要することになった。このような過ちの一部は、戦後、ニュルンベルグ医師裁判など司法の場で戦争医学犯罪として裁かれることになった。また精神障害者の命、人権を奪おうとするナチの政策に、大御所と言われた精神科大学教授や第一線で臨床に携わる精神科医が直接、かかわっていたという非倫理的な行為の実態も、歴史家、ジャーナリスト、人権団体、そして一部の医学者の告白によって次第に明らかにされていった。



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