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2012年9月12日 (水)

歴史を振り返ることの意味 ①

いくら時間が経過した後であったとしても、自らの行為を認め、検証し、謝罪を行うことは、「遅きに失して完全に意味はない」ということはないだろう。ドイツのDGPPNは正式な謝罪の後、さらに委員会を立ち上げ、研究や調査のためのプロジェクトをサポートすると表明している。恐らく非人道、非倫理的行為を事実と認めたうえでの調査と、事実がどうかを明らかにするための調査とでは、取り組みの心構えからして全く違ったものになるはずだ。後者は、「あわよくば”事実はなかった”ということにしたい」という願望を無意識的に孕みながらのバイアスがかかった調査になるだろうし、それに比べて前者は、「なぜ起こしたか」だけではなくて「今後二度と起こさないためにどうすればよいか」「国民への責任をどう取るか」という現実的、具体的そして前向きなものになるだろう。医学的な問題に限らず、「戦争責任を検証する」というテーマに着手しようとすると、必ず「自虐史観だ」という批判の声が上がる。中には、「そんな古い話を持ち出して謝罪することに何の生産性もない」と、戦争責任を問い正すことにさえ意味を認めようとしない人さえいる。しかし、それは間違いだ。未来を正しく見すえ、どの方向に進むのか、そのためには何をすればよいかを本当の意味で建設的に議論するためにも、「自らの過ち」を認めることは不可欠なのだ。「自分が直面したくない葛藤をなかったことにする」という心の動きをフロイトは基本的な心の防衛メカニズムとして「否認」と呼んだ。また、「悪いのは私ではなくて、あの人(国)だ」と相手に罪をなすりつけるのは「投影」だ。いずれも誰の心にもあるメカニズムだが、こうやって葛藤を回避していては、正しい判断も前向きな解決もできないことは言うまでもない。





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