ビキニ事件
久保山愛吉(静岡県焼津のマグロ漁船第五福竜丸無線長)は、1954/03/01、ビキニの海で西から昇る太陽を見た。そして「死の灰」を身体の奥深くまで吸い込んだ彼は、半年後帰らぬ人となった。それはアメリカが南太平洋の海で行った水爆実験の結果だった。大量にまき散らされた放射性物質の小さな粒子が、彼のセル・DNAを傷つけたのだ。「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」。東京都江東区夢の島公園、第五福竜丸展示館の庭にそっと置かれた碑には、彼の言葉が刻まれている。乗船員23人の7割ががんを発症した。第五福竜丸に乗るとき19才だった大石又七は、自身もがんを背負い、初めて授かった子は障害を有し死産だった。その後普通に生まれた長女へのいわれない差別を乗り越え、各地で子供たちに語りかけている。日本列島全体が「死の灰」に覆われた今だからこそ、ビキニ事件に学習せよと。
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