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2016年6月11日 (土)

地震と歴史の当事者 ①

高峰武(熊日論説主幹)さんは、”想”なるタイトルで書いている。コピー・ペー:
 地震にはあまり縁がないように思ってきた熊本ですが、熊本地震以降、実は過去に何回か大きな地震に襲われていることが身に染みて分かりました。
 その一つに1889年(m-22)7月28日の「明治熊本地震」があります。死者20人、全壊239棟。震源は金峰山付近で、(M)は6.3と推定されています。
 この地震には詳細なデータが幾つか残されていますが「熊本明治震災日記」もその中の一つです。発行は明治22年10月。地震から3ヵ月たらずの素早い出版でした。1874年(m-7)に熊本初の新聞「白川新聞」を発行した水島貫之が刊行しましたが、日記の現物が有ると聞いて、熊本市上通で古書や郷土誌を扱う舒文堂河島書店の河島一夫さん(63)を訪ねました。河島書店の創業は1877年(m-10)。熊本が西南戦争で焼け跡となった年の創業。河島さんが4代目です。
 「熊本明治震災日記」の表紙には熊があしらわれ、新書判を少し大きくしたような感じ。熊本地震後関心が高まり、問い合わせが増えています。
 「熊本地震の当時の行政の人たちの働き、良民の痛心、悪徒の悪だくみなどは、不幸にしてこの種の境遇に出会った時の警鐘となるだろう…」
 「序」を読みながら、「不幸にしてこの種の境遇」がまさに今の熊本ではないか、と思うほどです。
 本文は実に詳しく、死傷者の氏名、住所、年齢、家屋の崩壊図をはじめ、「その時」熊本がどうなったかが手に取るようです。大学教授らによる調査報告も付いています。
 気象庁によれば当時、地震は微、弱、強、烈の4段階で、側候員が体感で判定していました。熊本には測候所がなく、現地調査などから「烈」とされていますが、熊本地震は意外なところでその名を残しています。ドイツのポツダムで、熊本地震による地震波が測定されており、これが近代の遠地地震観測の端緒となっています。
 熊本地震の「前と後」では私たちの心にははっきりした線が引かれたように思います。またそうでなくてはなりません。多くの犠牲を払いましたし、現に進行形でもあります。
 熊本明治震災日記」を蔵する河島さんは知人の勧めもあって「平成28年熊本地震日記」を始めました。
 始まりは4月14日。東京からの帰り、空港に迎えにきた息子さんの運転で帰宅途中、車が大きく横に揺れ、前方の熊本市街地が「打ち上げ花火が失敗したかのように一面、パッパッパと光った」。
 4月16日。1時25分。ベッドから放り出され、本が降ってきた。洗濯機のホースが外れ水が噴き出し、ピアノが大きく動いている。着の身着のまま近くの城東小学校に行った…。
日記はこんなふうに続き、自身の毎日の日常と熊本の動きがつづられています。
 「熊本明治震災日記」には残念ながら復興の記述はありません。上通商営会会長でもある河島さんのこれからの日記が、熊本の復興の充実したデータとなればと、切に思います。





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