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2016年6月15日 (水)

熊本城 築城以降何度も被災 ①

中原功一朗さん・飛松佐和子さん(共に熊日)たちは、熊本城と地震についてレポート。コピー・ペー:
 熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城が江戸時代以降、地震などの自然災害でたびたび損傷し、修理を繰り返してきたことが市内の熊本城調査研究センターと、熊本大文学部附属永青文庫研究センター文献調査で6月5日、分かった。両センター職員は「並大抵でない人々の努力で、今の熊本城の姿がある」と指摘。
 熊本城調査研究センターの木下泰葉さん(26)は江戸時代から現代までの、地震や大雨、大風などで被災した建造物や石垣の損傷と、修理の履歴を整理。特に江戸時代前半は、数年おきに地震や大雨があり、石垣や塀、櫓に被害が出ていることが分かった。
 1625年(寛永2)の地震では火薬庫が爆発、天守閣や石垣も被災。細川忠利が藩主になった翌年の1633年は地震と大雨で本丸東側の石垣が約20間(36m)損壊。また、1889年(m-22)の地震では石垣が29カ所(2700㎡)崩れ、石垣・建築物の修繕費は、現在換算では、約33億円に上った。
 江戸時代の熊本藩は、頻繁に石垣などの修理(普請)を幕府に申請していることも判明した。永青文庫研究センターの後藤典子さん(59)は、忠利が藩主だった寛永年間の史料を集中的に調査。複数の老中に修理を申し出るなど、「忠利は用心深く、用意周到」と後藤さん。「確かに少しずつメンテナンスをしなければ、熊本城は保てなかった」とみる。
 今回(4月14日・16日)の熊本地震では、国重要文化財13棟が被災し石垣は53ヵ所が崩壊するなど、日本城郭史においても類を見ない被害とされる。木下さんは「熊本城の歴史は被災と修理の繰り返しだ」と話している。





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