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2016年7月 3日 (日)

第1回シンポ ②

続き: 木下泰葉(熊本城調査研究センター文化財保護主事)さんのアウトラインをコピー・ペー:
 記録によると江戸初期から幕末まで、熊本で発生した地震は26回。熊本城の破損記録が残るのは3回だ。
 加藤家2代目忠広の時代の1625年(寛永2)は、熊本地方で(M)5~6の地震があり、熊本城は天守が被災。火薬の蔵が爆発し、場内で死者が約50人出た。大雨・洪水などの災害は毎年のように発生し、熊本城が破損した記録が有るのは、6回。17c.は5回もあり、江戸初期は災害が頻発していた。
 江戸時代の城郭修理は、幕府の許可が必要だった。
 「武家諸法度」に規定されており、新しく城を築くことは基本的に禁止。石垣や堀を造る土木工事も許可がないとできない。ただ櫓などの建物は前あった通り修復すれば、届け出までは必要なくなった。石垣などの修理回数は少なくとも20回を上る。
 修理の絵図を纏めると、場内の至る所で修理されている。1633年(寛永10)の地震で崩れた本丸東の石垣は、1790年も修理。今回も同じ所が崩れており、比較的崩れやすい場所だったと考えられる。櫓も瓦の刻印や棟札などから、築城後に定期的に修理されている。
 1889年(m-22)の熊本地震では、石垣29カ所(約2700㎡)が崩壊した。建物は今回と同じような所が被害を受けている。修繕費は当時10万7583円で、現在の価値にすると約33億円。さらに城を管理する陸軍が、費用を増額しながら修理を実施している。
 なぜ陸軍は多額の費用をかけて修理しようとしたのか。記録には「名城ノ旧跡ヲ失フハ遺憾限リナシ」。陸軍の中で、西南戦争は熊本城を価値あるものとして捉え直す機会になっていた。だからこそ大きな被害を受けても修理を行った。
 1926年(t-15)、熊本城を文化財として残すため県知事や熊本市長、陸軍関係者、市民が連携し「熊本城址保存会」が設立された。熊本城は何度も修理しほぞんして、守り続けた歴史がある。今回の地震もその流れのひとつ。私たちは歴史の真っただ中にいるのだ。





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