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2016年7月22日 (金)

「天災という宿命 第4

「1868~」 姜 尚中さんのコピー・ぺー:
 天災、それが猛威を振るうつ度に、一人一人に異なった生と死をもたらさずにはおかない。それは、被災地でアルバムから散乱した写真を見つけ出した時の実感である。東日本大震災直後の福島県相馬市の海岸沿いの一角…そこには瓦礫に混じって夥しい数の写真が散らばっていたのだ。
 出産、七五三、入園式、入学式、卒業式、入社式、結婚式、新婚旅行、誕生祝い、社員旅行、金婚式、そして葬式などなど。いく葉か拾い上げてみると、そこには、フツーの人たちの人生儀式の数々が記録されていた。天災は、それが甚大である場合、人生儀礼の連鎖を斧で断ち切るような暴力的な切断をもたらすことになるのである。そこで突然切断された生と、その切断を免れた「生存者」(サバイバー)あるいは遺族は、再び、震災以前の人生儀礼に戻ることが出来るだろうか。
 戦争の時代を生き延びた人たちが戦後、どのような変化をするにせよ、「二度生まれ」の経験をするように、震災後を生きることは、その体験者にとって多くの場合、新たな人生儀礼を生きていくことにほかならない。復興とは、まさしく、この新たな人生儀礼を生きていくこと、あるいはそれを生きようとする意志を指しているである。
 この意志が「生存者」の一人一人の心に宿り、新たな結びつきを模索するとき、復興への序曲が始まるのである。そのような序曲が始まるには、心を癒やし、そしてかけがえのない体験と記憶を伝える試みが欠かせない。たとえたどたどしく、もどかしい歩みであっても、その試みのがなければ、復興はよそよそしい出来事に終わり、人と人との結びつき、地域の結束と一体感はだらけてしまわざるをえない。
 そうならないためにも、悲劇を記憶しそれを共有し、伝えることが欠かせない。阪神・淡路大震災後の被災住民の試みの中で特に感銘深いのは、「阪神大震災を記録しつづける会」による震災手記集の出版である。会の代表であった高森一徳さんは既に大震災から10年を目前に57歳で他界しているが、その遺志はずっと受け継がれ、「つづける会」の活動によって市井のフツーの住民の一人一人の新たな人生儀礼が綴られ、それは確実に次の世代に伝えられようとしている。
 大震災は突然の出来事であるにしても、その余波は10年、20年と続き、新たな人生儀礼にも影を落とさざるをえない。このことは、後を絶たない震災関連死の悲劇を見れば明らかである。阪神・淡路大震災は、この点でも震災関連死が根深い社会問題であることをあぶり出した。仮設住宅、災害公営住宅での「孤独死」だけでも、千人を上回っているのである。
 震災の記憶を綴り、伝えることは、こうした震災関連死をも一つ一つ拾い上げていくことになるはずだ。それは、ただ天災が原因であるだけにとどまらず、超高齢化社会の地域コミュニティーと住宅・医療・介護といった、震災以前から抱え込んでいた問題が絡んでいるからである。
 とりわけ、大震災は、地域の一人一人の交わり、その交わりによって成り立つコミュニティーの重要な意味を浮き彫りにした。この点は、阪神・淡路大震災で住宅の倒壊などで救助を必要とした人たちの8割近くが、消防や警察といった公的組織ではなく、地域住民によって助け出されていることを見ても明らかだ。助けを必要とする人たちの第一発見者であり、最初に助けの手を差し伸べるのも地域住民であるとすれば、防災、減災、救助にはコミュニティーのネットワークが欠かせないに違いない。




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