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2016年7月 6日 (水)

ムーヴイーとイギリス史 ②

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1936年1月、ジョージ5世の死により、王太子が順当にエドワード8世として即位したが、同時にそれまで表面化しなかった問題が浮上する。王太子時代から遊びと公務怠行がはなはだしかったのだ。厳格な国王の子が放蕩息子という例は歴史的に少なくないが、エドワードの場合はそれ以上に、国務文書を読んで捺印せず、顧問会議に遅刻して、公務中も私語とあくびを繰り返すというわけで、内閣も国教会も困惑していた。ウォリス・シンプソン夫人との関係が恋愛にとどまるなら許容されたが、この品性のない既婚女性と結婚するというので、政界および教会のエリートはこぞって反対した。
 反対の理由は、世間でいう「離婚経験者だから」というのは、100年前のヘンリ8世の先例があるので、成り立たない。むしろ、この「王位継承危機」は、エドワードが結婚するなら、自らの意志で王位を辞してヨーク公に譲るという方向へ、聖俗のエリートにより巧妙に導かれた。いわば憲政クーデタによって、即位の年の12月に譲位させたのだ。国王に相応しくない人を忌避し、適正な人を選ぶという先例は、名誉革命などいくつかある。既に中世から、王の専制を許さず、「賢人」と呼ばれた有力者たちよ合意の統治を行う政治文化がイギリスに根付いていたのである。
 エドワード8世は戦間期のファッションをリードし、「王冠よりも愛をえらんだ」、人間らしいダンディーというイメージがあるかもしれないが、現実はだらしない浪費家でエゴイストだった。上位の後、ただちにヒトラーのもとに参じた夫妻は、その後、一度も帰国を許されなかった。スクリーンで描かれるシンプソン夫人は「いやな女」である。
 兄と違って病弱で見映えもしないヨーク公=ジョージ6世は、立憲君主の責任義務をわきまえ、公務を誠実に遂行した。しかも妃はにこやかに公務をこなした。第二次世界大戦が始まると、ロンドンはドイツ軍の空襲を受けて危険だったが、国王夫妻は疎開することなく、人民と共に戦争を戦った。エリザベス2世はこの映画を見て、父の姿に感銘をうけたとのことである。英米ではアカデミー賞などの受賞がつづき、日本でも好評な映画である。




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