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2017年1月16日 (月)

Topics これからの日本―社会保障制度を考える私見 ⑥

続き:
6. 積立方式・賦課方式
 年金の財政方式で用いられる積立方式、賦課方式という言葉は、高校の教科書に出てくるが、その使われ方が適切で無いため混乱を生じさせてきた。また、使っている人によって意味合いが異なり議論を混乱させている要素もある。メディアの論調では、積立なのか賦課なのかの二者択一を問われるが、現実には、賦課方式を基本とした財政運営をしつつ、積立金を保有している。「賦課方式なのに、なぜ積立金を持つのか」といった意見が出るが、二者択一ではなく、両方の要素を抱えて運営しているのである。
 公的年金の本来の目的は、高齢期の給付を約束し、老後の暮らしを安定させることである。そのため、「拠出建て」と「給付建て」という言葉で整理すれば「給付建て」となる。しかし、先にも述べた通り、2004年以降は年金財政の保険料は固定しており、拠出は決まっているといえば「拠出建て」ともいえる。こうした言葉の定義と実際の制度のバランスが難しさに繋がっている。
 これまで、積立方式、賦課方式という言葉は、年金制度改革の争点として議論された経緯もあるが、近年、いずれの方策も公的年金の課題解決の道筋は同じであり、両者を対立軸として議論することはナンセンスとなっている。
 公的年金がマクロ経済の中で行っていることは、今の生産物の現役世代の分と高齢世代の分への分配である。又、仮に、保険料を払う現役世代が積立金を貯めたとしても、その後、少子高齢化が進み、彼らが高齢世代になったときに働いている現役世代が生産する経済規模が小さくなってしまうと、結果として貯められた資産の価値は小さくなる。積立金があっても需要がなければ、利子を生まず、価値が低下してしまう。
 教育検討会の座長である権丈善一教授によると、経済学の世界で積立方式、賦課方式といった大きく隔たったような議論が行われる理由は「経済学者」をひとくくりにしていることが問題という。一方の経済学者は「セイの法則」(供給がそれ自身の需要を創り出すという考え方)にしたがって、資産が常に富を生み続けるという立場に立つのに対し、もう一方は、過剰供給の場合は過少消費になる。即ち、分配が重要とという立場に立つ。両者の立場の違いが主張の違いであり、その片方を取り上げて、年金制度の議論をしてはならない。特に、セイの法則を前提とする経済学では、将来の事は本当のところはよく分からないという意味での「不確実性」を視野に入れていないために、公的年金制度の存在意義を、自らの経済学の中に位置づけることができない。
 近年、これらの議論に終止符を打ってくれたのは、ニコラス・バーの主張である。彼は、2013年1月のIMF(国際通貨基金)主催の会合における講演において、年金を設計するただ2つだけの方法として、「現在の生産物を蓄える」か「将来の生産物に対する請求権を設定する」しかないとする。そして前者の生産物を蓄えることは現実的ではなく、将来の生産物に対する請求権を設定するしかない。年金を将来の生産物への請求権の確保という視点からみれば、積立方式か賦課方式かによる2つの違いを誇張すべきでない。重要なことは「生産が中心(Output is central)であるということ。ニコラス・バーの世界的な年金研究の到達点に基づく主張については、従来から積立方式を主張してきた日本の学者からの反論はない。
 



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