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2017年2月16日 (木)

子どもの貧困 ②

続き:
可視化される子どもの貧困
 2006年、OECD(経済協力開発機構)が「対日経済審査報告」において、日本(13.5%)が先進諸国の中でアメリカ(13.7%)に次いで相対貧困率が高く、更に子供の相対貧困率も高く、ひとり親世帯の子どもは半数以上が貧困状態にあると指摘。この報告の衝撃は大きかった。それまで一部の研究者を別とすれば、「子どもの貧困」という考え方自体が日本国内ではあまり知られておらず、また、相対貧困率の懸念も政府をはじめとして一般にはあまり馴染みがなかったからである。2008年には、反貧困ネットワークなどの市民団体が子どもの貧困を社会問題として大きく取り上げ、2010年には、この問題に関心を持つ人々が大同団結し、湯沢直美さんらが中心になって、「『なくそう!子どもの貧困』全国ネットワークが結成。このネットワークによって多くの啓発活動やロビー活動が繰り広げられた。同じ2008年、研究者の側からも子どもの貧困を扱った著作が立て続けに刊行されるとともに、週刊誌もこれに関連する特集を組み、一般読者の間でも、「子どもの貧困が社会問題として認識されるようになった。
 こうした動きに押されて、やっと、政治家等が立法化実現に至ったわけである。
 子どもの貧困は日本では2008年頃から急速に社会問題として認識されるようになるのだが、そこにはさらに伏線があった。1998年、橘木俊詔さんの『日本の経済格差』と佐藤俊樹さんの2000年の『不平等社会日本』といった日本社会の不平等を扱ったものが刊行された。それまで漠然と持たれていた平等社会・日本のイメージが、すでに崩れ始めていた事情があった。
 当時、格差が拡大しているか否かについては研究者間で論争があった。しかし人々の社会意識のなかでは格差拡大の想いが強くなっていた。たとえば東大社会学研究室が2000年に行った全国調査では69%の人々が「現代の日本における所得の不平等は小さいと」と思わないと答え、また、73%の人々が「今後我が国の所得格差は拡大する方向に向かう」と答えていた。
 子どもの貧困の問題の日本における先駆者の一人である安部彩さんは、「立法」以前にには「『子ども』と『貧困』を同じ文書の中で使うな。国民に誤解を与える」などと勤務先の上司から論考に赤ペンを入れられていた」そうである。著者(武川)も1990年代には書名に貧困を入れると売れなくなると言われたことを覚えている。今、貧困問題は、大きく変わったのだ。
 子どもの貧困をなくすことには当該の子どもの福祉を向上させる意味がある。基本的人権や子どもの権利を守ることになる。と同時に、そのことは、公共の福祉にも合致する。
 第一に、子どもの貧困をなくすことが、ある意味で社会的投資の役割を担っている。子どもたちの潜在的な未知なる才能が現在の貧困のために開花されることがなかったならば、未来の社会は大きな損失をこうむることになるだろう。子どもの貧困が、将来の高度な人材の輩出を妨げているとしたら、悲しむべきことである。
 第二に、子どもの貧困をなくすための社会支出は効率的である。貧困連鎖から抜け出せた子どもは、その後のライフコースを良く生きることができ、好循環を生む。安部彩さんは貧困による予防接種率の低さが医療費の高騰を招く可能性を指摘している(資料― 子どもの貧困Ⅱ)。彼女が中心となった厚労省研究班では、高校中退の18歳に二年間の生活保護と職業訓練の投資を国や政府が行えば、20歳から65歳まで間に4500~5100万円の税金と社会保険料の納付がなされることになると試算を算出しているのである。
 子どもの貧困をなくすことは、子どもの福祉、社会的投資、社会支出の費用効果といった観点から正当化することができる。言い尽くされた事だが、医療費の無料化、児童手当の充実、義務教育の完全無償化などは、そうした施策の重要な部分である。勿論、そのためにはどうしても財源が必要になってくる。場合によっては増税が不可避である。しかしこの事は日本の未来社会の在り方に関わる事柄でもある。それだから、子どものいない人も含めて出し惜しみなどをしてはいけないのである。




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