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2017年2月22日 (水)

「アメリカ第一」の裏側

続き:西谷修さんの文を引用する。コピー・ペー:
 「アメリカ第一」は今に始まったことではない。それは合衆国の独立以来一貫している。唯、とりわけ第二次世界大戦以降、「自由世界の盟主」として、あるいはグローバル秩序の胴元として、アメリカは「世界のため」という普遍主義のレトリックを使い、その意志の押し付けを正当化してきた。最大・最強の国の「責任」ということである。だが、トランプはこれまで国政関与の経験がなく、その「責任」意識をもたない大統領として、登場した。裏を返せば、アメリカはもうその役割を担わないまたは、担えないということだ。だとしたら、どうなるのか。最早、世界は胴元のいない賭場のようなになる。アメリカは世界の安定を目指すのではなく、図体は大きいが、他国と同列の「普通の国家」になり、世界の面倒を見すぎて割を食った分だけ「取り戻す」といっているのだ。
 だが、アメリカは本当に「損をしている」のか。社会に不満は鬱積している。しかしアメリカは依然として突出した経済力・軍事力を保持しているし、トランプのような大富豪にも事欠かない。他の富豪たちは企業や投資を通してグローバル経済で儲けたが、このトランプはもっとドメスティックな不動産取引で荒稼ぎしている。グローバル経済の恩恵にはさほど頼ってはこなかったのだろうか。だから彼は、グローバル化を推し進めるエスタブリッシュメントを敵に見立てて、不満を抱く社会階層の支持を集めることができたのか。そしてその政治手法は、既に示されているように、公式協議や議会プロセスを経るより先に、ツイッター上で私的発言を流布させ、世論を直接扇動してターゲットに圧力をかけるという、「不作法」なやり方だ。
 これがアメリカでなければ、「ならず者」大統領とか「やくざ粉いのポピュリスト」と言われるところだろう。だが、アメリカがこうなると、世界はそれを「ノーマル」と受け止め、そちらの方に自分のメガネを合わせようとする。トランプが「アメリカ第一」と言う。すると世界はただちに(企業も国も)「アメリカ第一」を受け容れる。それがアメリカという国がいまだに及ぼしている規範形成力だ。



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