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2017年2月19日 (日)

絶対貧困と相対貧困 ②

続き:
◆社会問題としての貧困
 しかし19世紀末には「天は自ら助くる者を助く」から「天は自ら助くる者を必ずしも助けず」へと貧困観の転換があり、こんにちの福祉国家への道が開かれることになる。貧困を科学的に定義しようとする試みが始まる。
 河上肇の『貧乏物語』の中には貧乏基準を科学的に定めるための英国人医師による人体実験の結果が紹介されている。
 「監獄囚徒に毎日一定の労働をさせそうしてそれに一定の食物を与えて、その成績を見ていくのである。最初充分に食物を与えずにおくと、囚徒らは疲労を感じて眠たがる。何か注文があるかと聞くと、ひもじいからもっと食べさせてほしいと言う。そうして体重を秤って行くとだんだんに減ずるのである。そこで次には食物の分量をずっと増やしてみる。そうすると体重が増えだす。何か注文がsるかと聞くと、今度はうまい物を食べさせてほしいというように贅沢を言い出す。」
 この体重の減り始める点を、貧困と貧困以外の境界を示す貧困線と考えることは合理的である。体重の維持に必要な摂取カロリーを食費として換算して、これに家賃、衣服、光熱費など生活必需品の費用を加えることによって貧困線を設定し、これを下回る収入しか得ることの出来ない状態を「第一次貧困」と呼んだのが、シーボーム・ラウントリーだ。彼の考え出した指標は絶対的な貧困の典型例としてその後多くの人々に影響を及ぼした。
 ところが堤未果さんの『ルポ 貧乏大国アメリカ』(2008)の中では、現在のアメリカにおける貧困と肥満との結びつきが強調されている。「家が貧しいと、毎日の食事が安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げもの中心になる」し、貧困児童が利用する給食制度のメニューも「ハンバーグにピザ、マカロニ&チーズ……」といったものだからだ。河上肇の時代とは世界がまったく変わってしまったかと思われるが、他方でまた、現在の日本では、給食のない夏休みに体重を減らす子どものいることが報告されている(子どもの貧困白書)。肥満と空腹が隣り合わせとなった現在の貧困の状況について複雑な思いを抱かざるを得ない。
 貧困に関する客観的な定義に基づいた社会調査によって発見あるいは再確認された事は、人生には貧困に陥りやすい時期があるということだった。自分が子どもの時と自分の子どもを育てている時と、退職して老後を迎えた時である。日本で「長子の15は貧乏の峠、末子の15は栄華の峠」といわれてきた格言とも符合する。要するに子どもと高齢者が貧困の典型だった。
 第二次世界大戦後、社会保障制度が拡充し、欧州諸国では福祉国家や社会国家と呼ばれる体制が成立する。日本も30年程度遅れてではあるが、同様の体制に移行する。社会保障制度の中では高齢者の防貧に為に公的年金が、多子家庭の防貧の為に児童手当が制度化された。
 これらの社会政策によって、そしてまた、その後の経済成長によって、先進国では絶対的な貧困の問題は解決されたはずだった。実際、英国のヨーク市では、1930年代に人口の約10%だった第一次貧困が1950年には1.7%にまで減ったとの調査結果が報告された。
 
 





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