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2017年2月18日 (土)

絶対貧困と相対貧困 ①

武川正吾さんの引用 コピー・ペー:
 2006年にOECDが発表した「対日経済審査報告」がいわば黒船の役割を果たしたわけだが、この黒船が日本の社会政策に持ち込んだものは「子どもの貧困」という概念だけでなく、もう一つ重要なものがあった。相対貧困である。相対的な貧困という考え方は、生活保護の基準を設定するさいに用いられてきたが、貧困に関する客観的な国際比較の指標として「相対貧困率」を行政当局が正式に用いるようになるのはこれより後だ。
 相対的な貧困の概念は「ゆたかな社会」到来してからの比較的新しいものであるのに対して、絶対的な貧困の方は遥か昔から確立されていた、と考えがちである。しかし生計維持の水準を下回る絶対的な貧困という考え方の登場は、19世紀という「科学の世紀」の影響に依る所が大きく、人類の歴史の中でもそれほど古いわけではない。
 社会史研究者の教えるところによれば、中世ヨーロッパでも当時の有力者たちには貧民に対する救済の義務があった。しかしそれは自分たちの魂の救済を達成するための手段であった。このため修道院や救貧院は貧民の受け入れ定数が決まっており、救貧の対象者になれるか否かは、当事者の客観的ではなく、恣意的に決定していた。
 やがて資本主義が発達してくると貧困は罪悪であるとの考えも生まれる。「天は自ら助くる者を助く」という資本主義の規範のもとで、貧困は怠惰の結果となるからである。このため英国救貧法のなかでは有能貧民と無能貧民が区別され、それぞれの処遇も細分化され、「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」とが峻別された。救貧は恣意的では無く選別的に行われるようになった。





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