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2017年3月29日 (水)

債務超過の悪夢 ⑨

続き:
追加原価が発生するのは、規制当局の規制が厳しくなっているからで、規制当局の規制が厳しくなるのは、社会が厳格な原発のリスク管理を求めるからに他ならない。従って、原発建設における追加原価の限界点は、社会が求める原発管理の限界点と均衡する。
 そうすると原発管理の限界点はどこにあるのかということになるが、原子力エネルギーの完全な管理技術が存在しない以上、それは原発にどこまでのリスクを想定するかという確率論に行きつくことになる。ここでは数百年に一度の大災害を想定すると言っても、その数百年に一度が明日起きるかも知れず、そこでということで、数千年に一度の大災害を想定したところで、それが明日かもしれないという社会の恐怖感は拭えない。そして数百年に一度と数千年に一度の想定では、原発の建設コストは等比級数的に膨れ上がってしまう。
 もとより社会が原発を建設するのは、原発の発電コストが化石燃料による発電コストに比較して圧倒的に安いからである。しかし、原発の発電コストが圧倒的に安いのは、廃棄コストを含む原発の管理コストを安く見積もっているからに過ぎない。現在の社会が求めるレベルの原発管理を行えば、原発の発電コストは化石燃料の発電コストをはるかに上回ってしまう。即ち、社会が求める管理レベルの原発を作ってしまうと、その発電コストは化石燃料を上回ってしまい、そんな原発ならばそもそも原発を建設する意味がないのだ。
 細野は、東日本大震災以降において、原発建設を事業として行うのは無理だと思う。日本は無理でも海外ならばいいとか、発展途上国ならいいだろうという問題ではない。S&Wで際限なく発生する追加原価は、社会が許容できる原発管理の厳格化に応じて、発生し、それはその原発建設が経済的に意味をなさない限界点まで止むことがない。これは東芝がWECを通じて行う他の原発プロジェクトについても同様だ。
 東芝債務超過の現実味を受けて、東芝支援のスキームが検討されているが、これら再生策の基本構造は、半導体事業の分社化による資金の投入ということに尽きている。言っておくが、現在の東芝にいくら資金を投入しても、根本的な解決にはならない。原発事業そのものを廃止しない限り、追加原価が際限なく投入資金を食ってしまうからだ。社会の勇気が試されていると考えるべきであろう。




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