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2017年6月24日 (土)

監視の時代とプライバシー ⑤

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 確かに、69年判決の意義は憲法13条に定める幸福追求権に基づく肖像権の確立にあった。だが、この判決は実のところ承諾のない写真撮影にお墨付きを与えた格好となってしまった。多くの下級審、また最高裁自身が、警察による各種の撮影の是非が争われた場合に、それらの撮影や記録が許容されるとの判断を示してきた。今回の大法廷判決が出されるまで、複数の下級審がGPS捜査を令状なく実施できると捉えていたのもこうした先例があったことが原因だろう。

 このように、69年判決には警察における公道上での撮影監視行為を野放しにしてきた側面が強いのである。警察における撮影機器の活用は、暴動等が予想される特定地域での監視カメラ撮影や特定の人物の尾行時の撮影へと拡大していき、近時の大分県警による監視カメラ問題で明らかになったような内偵・動向確認のための監視等、技術の進化とともに撮影記録を超えて常時監視や追尾監視へと展開し、多くの予算が投入され続けている。筆者(指宿)の入手した警察内部資料からも、アナログ時代から多様な撮影記録技術が警察活動に利用されてきた。その実態は明らかだ。例えば、ある機材関連の説明文書には、ファイバースコープに秘聴器を取り付ける手法で室内の(!)様子を監視できることが紹介されている。言うまでもないが、室内は秘密性パラダイムに依拠したとしても許されないプライバシー侵害に当たる。

 もちろん裁判所があらゆる撮影や監視方法について適法と認めたわけではない。例えば、政治団体関係者が出入りする建物に対する撮影や、尾行中の政党事務所への出入りの撮影に対して思想信条の自由の保護の観点から部分的に違法と判断した例がある。最近でも、X線撮影により宅配物の内容を承諾のないまま確認して捜査差押え令状請求の資料としていた捜査手法に対して、これをプライバシー侵害に当たるとした最高裁の判断も存在する。この事案では、梱包を開披して内容物を確認したわけではないので、伝統的な考え方からすればプライバシーの期待が侵されたわけではないという判断も可能であった(実際、一審二審はそのように考えていた)。しかし最高裁は、内容物確認の可能性を認めてプライバシー侵害と断定す。

 この最高裁判決が17年判決への布石となったと言っても過言ではないだろう。今回、大法廷は承諾のない追尾監視技術に対して正面からプライバシー侵害を認めた。位置情報の継続的な取得を目視と同じ様にできないとして技術革新に目を着けたところは、透過撮影によるプライバシー侵害の可能性があるとしたX線撮影事件の判断と類似性を持つ。だが何よりも、公共空間と私的空間を切り分けていたこれまでの秘密性パラダイムに基づく二元論を脱し、公共空間でも一定の場面での保護を与えるという新たなパラダイム(私的領域という観念)が提示されたことに意味がある。17年判決が69年判決を引用しなかった真の理由はこうしたパラダイムの大転換にあったと言えるだろう。

 今後は、各種の肖像権訴訟を切り開いた69年判決と同様、17年判決が公共空間においてプライバシー保護を争う各種訴訟の重要な起点となる。――― 予想されていく。



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