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2017年6月23日 (金)

監視の時代とプライバシー ④

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 今回の17年判決から遡る約50年程、1969年に最高裁大法廷は、いわゆる京都府学連デモ事件に付き、我が国の憲法には明記されていなかった――― ”肖像権”という重要な権利を打ち立てた(以下「69年判決」と言う)。京都市内をデモ行進中の学生たちが許可された条件でデモを行わなかったとして警察官がその様子をカメラ撮影し、これに怒った学生が警察ともみ合いになり公務執行妨害罪及び傷害罪で逮捕起訴された事案である。当時は、プライバシー権という考え方がようやく我が国にも紹介されたばかりで、「何人からも隠しておける状態とか情報」をプライバシーという概念で保護しようと試みていた時期だった。こうした考え方はプライバシー保護を決する”秘密性パラダイム”と呼ばれるもので、現在でも、様々な事案で用いられる指標となったいる。

 ”秘密性パラダイム”によれば、住居や市有地に対する保護は手厚くされる一方、公道上や他者の面前では保護の必要は低いと見做される。今次の17年判決が出されるまで、GPS捜査に就いて、公道上を走行する車両の位置情報を取得しているだけだからプライバシーの期待は低いとする下級審の判断が見られた背景には、こうした考え方の影響なのだ。

 69年判決は、「何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する」として、警察官が正当な理由なく個人の容ぼう・姿態等を撮影することは憲法13条の趣旨に反するとした。具体的な事案については、行進許可条件違反という「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合」に当たり、証拠保全の必要性・緊急性があることや撮影が相当な方法で行われたことを前提に許される撮影だと判断されている。

 この判決が公共空間における人の容ぼうについて法的保護を認めた意義は大きく、具体的事案は刑事事件であったが、その後、肖像権は民事事件等でも広く取り入れられ、今では市民生活上も定着した概念となっている。

 確かに、私たちが公道上を歩いている時は他人に顔を晒しているのであるから、プライバシーの期待は小さいように感じられる。しかし、他人に顔を晒して歩くことそれが映像情報として記録される(撮影される)ことは同次元ではない。つまり、秘密性のパラダイムとは異なる”記録性の有無”という別のパラメータが、50年も前に我が国で承認されていた。

 さらに言えば、GPS捜査の場合は単なる記録性ではなくそれが”長期”にわたって人の手によらず、”自動的”に記録されるという特質がある。今次の17年判決はこの特性を正しく捉えたと言える筈である。即ち、判決はGPS捜査に就いて、「公道上のもののみならず、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるものを含めて、対象車両及びその使用者の所在と移動状況を逐一把握することを可能に」し、「個人の行動を継続的、網羅的に把握することを可能にする」と述べてその技術力を評価している。50年の時を隔てて現れた飛躍的な技術革新が、捜査規制のあり方に再考を促すことになった理由だ。



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