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2017年6月26日 (月)

監視の時代とプライバシー ⑦

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 Nシステムに対して起こされるある民事訴訟において、東京高裁は次のように述べて原告のプライバシー侵害主張を退けた。すなわち、「公権力が正当な目的のために相当とされる範囲において相当な方法で個人の私生活上の情報を収集し、適切に管理する限りにおいては、その自由が制約を受け、国民にその受忍を強いても、憲法に違反しないとされる場合があると解すべき」、と。

 最高裁によって、公共空間においても私たちの「私的領域」が侵されない権利が認められた今、果たして今後も裁判所はこうした判断を維持しうるだろうか。

 確かに、Nシステムは不特定多数の情報収集型監視装置であることから、一見すると追尾型監視のGPS捜査とは異なり私的領域への侵入は乏しいように感じられる。だが、各地の通過情報がデータベース化されれば、”検索”によって特定の車両の移動履歴を事後的に追跡することができる。GPS捜査もライブでの監視だけが問題なのではなかった。17年判決が指摘したように、「継続的、網羅的に把握」することを可能とする手法こそ問題である。従って、Nシステムも結局同じ監視装置としての機能を持つのではないかと考えられる。公共空間における顔認識技術の利用にも同じ問題があるだろう。

 筆者(指宿)は17年判決事件の第一審でGPS捜査の法的性質に関する学者証人として出廷し、立法必要論を説いた。その際、プレゼンテーションの締めくくりとして、プライバシーの観念を生み出した米国の法律家であるルイス・ブランダイスの言葉を引用した。ブランダイスは、1928年に最高裁判事として関わったFBIの盗聴が問題となったケースで、こう警告していたのである。「政府による諜報活動の手段を供給する科学の進歩は、電話盗聴にとどまることはないだろう」、と。

 当時、米国最高裁の多数意見は盗聴に規制の要を認めず、ブランダイスのプライバシー違反の主張は少数意見に止まった。最高裁が考えを改め、無断での電話盗聴にプライバシー侵害を認めるのはその時から40年後のことであった。そして、ブランダイスの警告から90年後の今日、我が国の最高裁判事たちもその言葉に耳を傾けることとなった。

 今回、たとえ公共空間であっても、市民がみだりに”監視”を受けない「私的領域」につき一定の保護を受けられることが最高裁によって、そうした危険を制御する責任と義務が国会にあることが明らかにされたという点も重要で、立法者がこれまで監視技術の統制に無関心であった責任は重い。

 GPS捜査のような現在用いられている技術のみならず、今後生み出されていく多様な監視技術に就いてもその濫用を許さず、透明性を確保して事後的検証が担保され、収集された記録の保管期間等を明確にするような枠組み、即ち、包括的な監視規制法の確立がわが国に求められている。

 



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