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2017年7月 6日 (木)

「1強多弱」 ③

続き:
                    憲法70年関連番組

 こうした流れに抗して、今年の憲法記念日番組はNHKが健闘した。NHKスペシャル『憲法70年”平和国家”はこうして生まれた』(4月30日)と、Eテレ『暮らしと憲法~外国人の権利は』(5月13日)である。NHKのなかに、永田町に「忖度」しないグループがいるらしい。

 前者は、日本国憲法に「平和主義」と「国際協調」を書き込んだのは「日本人」自身であることを、歴史資料を駆使して実証した。「平和主義」の起点を、敗戦後初めて開かれた国会における昭和天皇の「平和国家建設」の勅語に求め、まず「押しつけ憲法」説を撃退。次いで、憲法制定過程で日本の政治家たちが党派を超えて、9条1項に「国際平和」の文言を入れた経緯をつぶさに描いた。冒頭の下線部分はGHQ案にはなかった。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段と
しては、永久に放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを
保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。
日本側はGHQ案を一歩進めて、国連が掲げる「国際平和」の理念を自らの意志で盛り込んだ。ただし、天皇制を前提とする「国体護持」の枠組みについて、日米の間に暗黙の了解があった天皇制は、国際平和を希求する「日本国民」の総意に基づき「選ばれた」とされたのである。かくて、第1条の「(象徴)天皇制」と、第9条の「戦争の放棄」が、微妙なバランスの上に抱合した結果、第11条の「基本的人権」と「国民」のあいだに溝ができた。
                    「国民」が排除する「人々」
 TBSの「風をよむ」で、ある女性が「閣議決定とか何だかよくわからないところですべて決まってしまって、私たち何のための国民なの?いう気がしながらニュースを聞いています」と答えた。現在の「国民」が直面する危機への言及であるが、筆者(神保)に、日本国憲法が排除してきた「外国人」(foreigner)の存在を想起させた。
 Eテレ『暮らしと憲法~外国人の権利は』は、NHKスペシャルをさらに進め、憲法によって保護され、排除されるのは誰かという問いを立て、憲法に書き込まれた「国民」の内実を明らかにしようとした。
 憲法25条「生存権」には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。「すべて国民」は英語で”All of the people”である。GHQ側は”the people”の直訳の「人民」が適当だと提言したが、日本側は、「人民」には「王(king)」と闘うニュアンスがあり、「日本人」は天皇と敵対したことがなく、「すべて一体の国民」という意識が強いと反駁した。「天皇制民主主義」といわれる所以である。
 実際、25条を実現するはずの「生活保護法」は外国人(在日コリアンなど)を排除している。給付は、地方自治体の「運用」によって例外的に行われる。「日本国民」(「日本人民」ではない)という翻訳によって、「基本的人権」が尊重される「人」または「人民」、1条と9条のあいだに埋没し、皮肉なことに、アジアにおける多大な犠牲者の存在を隠してしまったのである。
 前述の伊藤哲夫案は、こうした憲法成立過程で「戦前的なるもの」を清算せず立ち上げられた「日本国民」が、「国際法に基づく平和主義」、すなわち「平和のための積極的な貢献」である。安倍・伊藤コンビは、ヨハン・ガルトゥングs氏の「積極的平和」を換骨奪胎し、国際貢献の美名のもとに、一国的な武力行使を正当化しようとする。西崎文子氏がメディアに示唆したのは、ここに憲法の「空文化」⇒「嘘の体系」に向かう危険な現場があることを勇気を持って明らかにせよということだ。





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