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2017年7月14日 (金)

長期拘束の不当性―― 真に罪を犯しているのはどっちか

続き 山城博治さんのインタビューの文をコピー・ペー:
   長期拘束が続いたのは、どのように考えたらいいのか。
 私を現場に戻さないということと、もう一つ、警察と検察は、「共犯者」を探していたんです。
 最初の逮捕容疑の器物損壊は私自身だけのことですからともかく、再逮捕の容疑などでは取り調べの矛先がだんだんと周囲に拡大していくのがわかり、とてもではないけれど、そのような取り調べに応じるわけにはいかない。警察などは、現場で撮影された映像を見せてきて、「これは誰か?」「どこの人間か?」と聞いてくる。ブロックを積んだ時に一緒にいた人間はどの組織の誰なのか、高江の森でやりとりした時にそばに立っていたのは誰なのか、といった内容。
 その人たちが罪に問われるような行為として何かをしたということではないのです。それにもかかわらず、「共謀、共犯だ」と。座り込みの打ち合わせで「そこに座れ」と言って「はい」と言ったら共謀成立、私の演説に拍手しても、私の目配せだけでも共謀成立、という話なんだ。これなら何百人だって取り調べも逮捕もできる。どこまで弾圧の対象を拡大する気なのかと、正直、恐怖感を覚えました。既に私以外にも複数の逮捕者が出ていたわけで、申し訳ない気持ちでおりましたから、これ以上の弾圧の拡大をさせないために、黙秘権を行使した。
 検察は、「傷害」容疑について、私に、「傷を負わせてしまったことについては反省してお詫びします」といったことを供述させようとして、「どういう理由があろうが、人を傷つけたら心が痛むだろう。謝罪しないのは人として失格だ」などと迫ってきた。「そんな事実はありません。人をけがさせるようなことはしていません」と言えば、「まだ認めないのか、それでは、また来週おいで」となる。つまり、罪を認めない限り取り調べが続くということを匂わせるわけ。
 しかし、こんな嫌がらせや脅迫的な取り調べで、長年にわたって仲間たちとともにたたかってきた歴史を帳消しにすることはできません。沖縄県民多数の意志を体した沖縄のたたかいの誇りを忘れて、「悪うございました」などといえるはずがない。「どうしても事件にしたいというのなら公判で話す」という思いで黙秘しました。
 それでも、刑事も検察官も、迫るように取り調べを進めようとしてきます。「冒頭に『黙秘権がある』とおっしゃったので、その権利を行使させてもらいます」と言ったのですが、「なんで黙っているんだ!」と迫ってくる。黙秘しているんだから黙っているのは当たり前じゃないですか。「あんたは現場ではマイクを使って言いたい放題で喋っているのに、なんでここにきたら目も開けずに黙っているのよ」などとも言われ、あまりに酷いので、「刑事さんは自分で私に『黙秘権がある』と言ったのに、私がそれを行使すると怒る。最後にはとうとう、キレて私をバカ呼ばわりする。でも、私は喋りません」と言った。
 付け加えると、乱暴に脅かすだけでなく、泣き落としもありました。「山城さん、私からみるとあなたのやったことはそう大きな罪ではありません。ただ、あなたが黙っていると、行為の実態がわからないから我々も判断できない。本当は小さいものかもしれないけど、黙っていると大きくなってしまうかもしれない。だから、やったことはやったと、やってないことはやってないことで、あなた自身の証言がないと判断できない。これはあなたのためでもあります」と。しかし、これも私が罪を認めることが前提になっています。そして、私がこういう脅かしや泣き落としで「罪」を認めてしまえば、周囲の仲間や参加者が「共犯」ということになって、さらに弾圧が拡大するかもしれない。あるいは、辺野古の抵抗運動で犯罪行為が行われたという宣伝材料にされかねない。
 考えれば、おかしな話だ。何十万人という多数の県民が、平和を願い、沖縄県内での基地負担のたらい回しに反対し、貴重なサンゴ礁などの環境破壊に反対して、辺野古基地に反対する県知事を当選させ、名護市長を当選させ、県議会も反対の議員を多数派にし、国会議員ものきなみ当選させ、長年にわたってそのような世論と政治的な実績を積み上げてきたのです。それを無視し、押し潰して、軍事基地の建設を強行しようとすることこそが罪なのではないか。
 このような政治に対して、県民がやむにやまれぬ気持ちで抵抗すると、県外から機動隊を大量動員して、無謀な暴力を振るってくる。そのような国家悪に向かい合うことを「公務執行妨害」や「威力業務妨害」だといって、長期にわたって拘束する。関係のないようなところまで家宅捜査をかける。県民の民意を押し潰し、沖縄の貴重な自然を破壊して、憲法で禁じられているはずの軍事に利用しようとする現在の政府の巨悪こそ、問われるべきだ。私は裁判の中で、このような県民の思いや、私たちの名誉にかけてたたかおうと思っています。
 現在の政権が続く限り、これからも弾圧が起きるかもしれません。いま私は、自分の居るここの世界は仮のもので、長い刑務所暮らしがこれからあるかもしれない、という感覚がある。この5か月間の経験は、小さくはない。確かに辛い日々でしたが、「もういやだ、二度と行きたくない」という気持ちではなく、弾圧を受け、拘束された時にどう過ごせばいいのかがわかりましたので、次はもっと強い気持ちで耐え、それを対処出来るでしょう。





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