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2017年7月11日 (火)

山城博治氏 警察による長期拘束と取り調べ

山城博治(沖縄平和運動センター議長)さんの2016/10/17、~152日間に亘る勾留を強いられた。安倍政権による基地施設反対運動への政治弾圧として内外から注目、山城さんの釈放、解放を求める世論が盛り上がりました。インタビュー形式なので、彼自身の言葉を述べる。コピー・ペー:                         『世界7月号』より
 勾留されていた152日の半分、ちょうど76日ずつ、警察(名護署)の留置場と那覇の拘置所に勾留された。容疑は高江のヘリパッド建設への抗議中に有刺鉄線1本をペンチで切ったという器物損壊などで、「逃亡や証拠隠滅を防ぐため」として釈放が認められず、長期に亘って拘束された。
 留置場にいる間は、ほぼ毎日のように取り調べが続いた。取り調べは同警察署の中の、留置室からドアと通路を隔てただけの取調室で行われるのですが、留置室~数メートル移動するのに、いちいち手錠と腰縄を着けられた。留置の担当者と取り調べをする警察官は違うというのだが、その度いちいち身体検査を受けさせられた。四つん這いのような体勢で壁に手を付けさせられ、身体検査させられる。要するに屈辱を与えられる。それが毎日、午前も午後も繰り返される。
 狭い留置室の中は殺風景で、外を見ることも出来ないですが、通路もカーテンで仕切られていて、とにかく周囲の様子が何もわかりまっせん。窓に覆いがされて明かりさえろくに入ってこない暗い留置室にも、1週間程入れられて、身近な人たちと連絡も完全に遮断され、屈辱的な調べが続く。こういう環境に置いてこちらの心を折って、警察の言いなりにさせるのが向こうの狙いなんだ。
 逮捕された当初の容疑は、器物損壊でした。詳細は法廷で明らかにしていきたいと思いますが、行為そのものは始めから私も認めていましたから、「はい、やりましたよ」と言えば一晩で出られるだろうと思っていました。実際、簡易裁判所は逮捕3日目(10月20日)の警察の勾留請求を却下したんです。那覇地検がが直ぐに準抗告して那覇地裁でその日に勾留が認められてしまいましたが、いずれにせよそう遠くなく釈放されるだろうと思っていた。ところが、同日、地裁が勾留を認める前に―― なんとしても釈放させないためでしょう―― 警察は新しい逮捕状を持ち出してきた。この再逮捕の容疑は高江で沖縄防衛局職員に対する「公務執行妨害」と「傷害」ということでした。これは到底、認められない。私も市民活動家としてこんな弾圧時の手続きの流れはある程度知っていたから、「否認ということになると、あと(警察の勾留期限の)二三日間は留置場にいることになるな」と覚悟しました。
 勾留期限に近い11月11日に起訴され、これで拘置所に移送されるのではないかと期待しました。とにかく警察による毎日の屈辱的な取り調べは早く終わらせてほしいと思っていましたから。ところが、警察は次々と「共犯者」を逮捕して来る。そうすると、共犯者の取り調べが終わらないといって、留置場から出さないのだ。これはひどい手法で、「共犯者」を次々に見つけて時間差で逮捕してくれば、いくらでも留置場で取り調べを続けることができるようになっているんです。要するに、警察が釈放したくなければ、如何にでも出来るということ。
 警察はさらに、11月29日、今度は高江ではなく、辺野古の基地建設への抗議行動の中でブロックを積み上げた「威力業務妨害」で3度目の逮捕状を持ってきた。3度も逮捕が繰り返されることは予想だにしませんでした。さすがにこの時は精神的に参りました。これ以外にも、米兵を小突いたとか、テント前に押しかけてきた右派の人々に「暴力を働いた」とかいう言いがかりに近い「罪状」も持ち出されてきて、これでは本当にきりがないと思いましたね。右派の人々うんぬんについては、彼らがこちらのテントに大人数で夜中に押しかけてきたところを制止しただけで、結局は任意の取り調べだけで終わりましたが。
 こういう先の見えない状況が続いて、やっと2016/12/26、拘置所に移されました。
 





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