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2017年7月20日 (木)

ポスト・グローバル化の政治

続き: 「フランス大統領選から見る…」コピー・ペー
 フランスはこの「ネガショニズム」の傾向を斥けて、若く政治経験も浅く、その意味では未知数のマクロンを選んだ。二回の投票の成行きからそうなったという結果ではあるが、しかし「前進」するためにはこうでしかありえない。不可避の、その意味では正しい選択だった。そこに読み取れるのは、もはや人びとは古典的な保革の対抗をあてにしてはいけないということ、その構造は人びとの直面する問題やその解消に何ら応えることが出来なくなっていることだ。冷戦後も残存してきたこの政治構造はもはやフランスでは生き延びることができないことがはっきりした。EUとの関係は、否定することが出来ないが、現在のテクノクラート支配の「システム」と化してしまったEUでは、その構成国民を豊かにすることはできず、その経済的統治のあり方は変えなければならないということだ。そして移民問題は、元来、西洋諸国の繁栄を支えたきた植民地支配の歴史の生み出したものであり、西洋の没落とともに排除しようとしても、新たな荒廃しか生まれない。グローバル世界とは、ひとつの共通ルールによって世界が一元的になる技術・経済至上の世界ではありえない。グローバルな統治システムがそのようなものであるとしたら、それは世界の決定的な分断しか生み出さない(貧富の極端な格差、治安のための警察・軍事力、文明とその敵の対立等々)。グローバル化とはむしろ他者が身近に、そして自身の内にもいるような世界である。
 先日来日していたフランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーが、すでに25年になる自身の心臓移植体験を(湾岸戦争の年だった)、当時深刻な社会問題化してきた移民問題に照らし合わせて既述した小著がある。『侵入者』という本である。「他者の心臓と共に生きる」というのがその主題だが、ナンシーがそこで語っているように、技術や交通が支えるグローバル世界とは、身体的存在としての人間にとっては、多重臓器移植で生きる身体のような世界なのだ。「わたし」はもはやその内に他者なしにありえず、純粋な「わたし」も本来の「わたし」も存在しない。本来性にこだわることこそ、「死に至る病」となる。そのような「わたし」が生きられるような政治空間を作ってゆかなければならない。
 その政治空間は、均一なものではなく、個別的でかつ複合的である。というのも、政治とはもともとポリス、ひとつの共同体の営みだからだ。経済は一元化する傾向をもつが、政治はあくまで地域の共同性に基づいている。その政治が普遍化したら、それは経済による統治に溶解することになる(EUがその行方を先取りしている)。その経済、とりわけ巨大化し企業をその担い手とする経済は、利潤や成長に関心を持っても、それを担い支えて生きる人びとの幸福には関心がないのだ。
 EUでも日本と同様に中央銀行がマイナス金利を導入している。銀行に金を預けても利子がつかないどころか、手数料を取られるのだ。もはやお金はお金を生まない。金利は資本主義の原点だとも言われる。グローバル経済は経済発展の最終局面だと言えるが、そこで資本主義自体が立ち行かなくなっているのだ。資本主義とは世界の経済化の別名である。16c.以来の西洋世界の展開の動因となってきたその資本主義が立ち行かなくなっており、この先、世界は経済至上とは別のかたちで編成されなければ破綻しかないだろう。その破綻の先に望見されるカタストロフとしての戦争は、しかし今では武器の破壊力の人間の生存次元を超える過度な発達によって、ほとんど起こせなくなっている。もちろん、起こすことはできるだろうが、その結果は起こせると思った人間の貧しい想像力をあざ笑うような、もはや名状しがたい惨状を生み出すものになるだろう。そう考えると、ポスト・グローバル化の時代の人間社会の選択肢はそうないのである。
 マクロンが大統領になって実際に何ができるのか、政治構造を改編してフランス政治に新たな次元を開くことができるのかどうかは、まったく不可測だ。むしろ、既存の「システム」や組織社会の旧来の力学、あるいは国際政治のしがらみの中で、結局は大したことはできないというのが現実的な予想だろう。しかしそれでも、今回のフランス大統領は、この未知数の若者を大統領に押し上げることで、フランス社会がどんな傾向をもっているのか、どんな選択しかしないのか、といった多くの問題を炙り出してみせた。それはフランスの苦悩と混乱を通して、確実に現在の世界の諸相を照らしだすことになったのである。





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