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2017年7月12日 (水)

日本の「人質司法」の問題性、人権保障の劣悪さ

続き: 山城博治さんの文引用―コピー・ペーする。
 拘置所に行ったときは「これで警察の取り調べがなくなるか」と少しホッとしたんですが、拘置所は拘置所で厳しい生活でした。
 取り調べのストレスなどもあって虫歯がが進んでしまったのですが、痛みが出ているので治療したいと伝えたところ、「ここでは歯の治療はしない。我慢できないなら抜くしかない」と言うんです。こういった点では警察と同等かそれ以上に人権無視したところがあった。今年の冬は沖縄でも寒かったのですが、警察で認められなかった靴下の差入れはすぐ許可されたものの、カイロの差入れは認めないということもあった。
 部屋も汚い。指でさわると真っ黒になるほど埃が積もっていて、雑巾とバケツが渡される。自分で掃除しろ、というわけ。留置場も似たようなものだが、拘置所のほうがひどかったですね。拘置所で3つの部屋を転々とさせられたが、特に2つ目と3つ目の部屋は、バケツの水がすぐ真っ黒になるくらい汚れた部屋だった。
 拘置所に移って変化したことといえば、「自弁」→自己弁済といって自分の費用で買い物をすることが許されることです。拘置所の売店にある品を買うことが出来る。食事の時間が、朝は8時、昼は11時40分、夕方が4時と早めなんだ。夜になるとお腹が減ってしまうので、パンなどを自弁で買うことができるようになったいた。これは、収容者の便宜より、職員が夕方5時に帰るから「あとは勝手にやって」ということでしょう。
 困ったことの一つは、留置所も拘置所も時計が置いていないことだ。夜中にふと目覚めても、夜明けが近いのかどうかもわからない。時間が確認できないという事が、こんなに人間を不安にさせるとは知りませんでした。普通の市民生活と違う状況に置かれていることを痛感するように仕向けているのだと思う。
 警察の留置場で辛かった事の一つは、情報遮断であった。新聞を読むことはできるのですが、自分(山城)に関する記事はすべて切り抜かれています。自分(山城)が逮捕され、拘束されていることに就いて、どのように報道されているのか、まったくわからないのである。ところが、人間の感覚というのは不思議なもので、どのページのどのような部分が、どれぐらいの大きさで切り抜かれているかということで、だんだんと察しがつくようになってくるんですね。ああ、琉球新報が大きな社説を書いてくれているな、とか、沖縄タイムスが特集記事を載せてくれているな、とか。切り抜かれて読めない部分が多いと、キャンペーンを張ってくれているんだと嬉しくなります。あとで弁護団から記事をまとめて渡されて、逮捕された直後から仲間たちや文化人の方々、多くの団体などが声をあげ、マスコミも「不当逮捕」と報じてくれていたことなど、こういう記事だったのか、とわかりました。
 拘置所に移ってからは、新聞や雑誌を購読して、切り抜きなしに読むことができた。ただ、新聞は一紙しか購読できないので、1ヵ月ごとに沖縄の二つの地域紙を交互に読みました。丁度沖縄タイムスを購読していたときに、「辺野古から 博治さんへ」という私への手紙形式の社説が掲載されたのを読みましたし、琉球新報に掲載された山口泉さんの論考をはじめ、多くの記事に触れて、本当に励まされ、勇気づけられました。
 警察署や拘置所の外からの仲間たちの激励の声もしっかりと届いていました。特に警察署は敷地が小さいので、誰がどんなことを言っているのかもだいたい聞こえました。拘置所は敷地が大きく、いちばん奥まった部屋に入れられていたので、内容まではわかりませんでしたが、それでも、仲間たちの声が届くたびに勇気づけられました。それがあったから耐えられたのだと思います。
 





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