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2017年7月22日 (土)

南スーダンの暴力 ②

続き 今井さんの「苛烈化する南スーダンの暴力」のコピー・ペー :
 内戦勃興直後から、周辺諸国の仲介により停戦交渉が繰り返された。最後にはアメリカや中国も仲介に加わり、2015年8月、停戦後の統一政府のあり方を定めた合意文書にキール、マシャールの両氏が署名した。
 翌2016年4月、マシャール元副大統領は首都ジュバに戻って副大統領職に復帰、閣僚のポストはキール派とマシャール派、その他の少数派が分け合って暫定統一政府が発足した。国際社会はこれで南スーダンが安定すると期待した。
 しかし、統一政府内での両派の対立は解消されず、和平合意の最重要事項の一つである「ジュバ非武装化」が実施されることは無かった。千数百名の護衛部隊を引き連れてジュバに入ったマシャール派に対して、キール派は1万人の勢力を温存していたと言われる。結果的に、2016年7月の戦闘は、数に勝るキール派がマシャール派をジュバから駆逐する動きだったということができる。
 この時の戦闘をめぐって、日本国会では「戦闘か衝突か」といった論戦をやりあっていたが、どう表現しようジュバの現地で起きたことの現実が変わるわけではない。軍用ヘリコプターが飛び交い、ロケット砲弾を撃ち込まれた住宅が燃上して、死体がごろごろ散乱していたといった目撃談、体験談を多くの市民から聞いた。一般市民を含め300人以上(一説では1000人以上)が亡くなり、国連などの情報ではジュバ市内から一時的に4万人が避難したとされる。戦闘と同時に特定の民族集団に対する暴力が行使されたとも言われている。
 戦闘時には、広範囲で略奪が起きた。市内各所の商店に兵士が軍用トラックで乗り付けて略奪行為を行ったとの目撃談は多い。難民の多くが「数日後に自宅に戻るとすべて失われていた」と話している。南スーダンでは、民兵集団、あるいは正規軍の内部でも、給料支払いが遅れがちな(あるいはそれも支払われない)―給与の「補填」として、略奪行為が黙認されているという。
 ジュバを追われたマシャール氏は、配下の部隊とともに「エクアトリア」と呼ばれる地域を抜けてウガンダ、コンゴ民主共和国との国境地帯に移動した。マシャール氏はそのままコンゴ領内に入り、その後南アフリカに至って現在もそこに滞在している。
 マシャール派部隊の多くはエクアトリア地方に残り、同調する勢力とともに地方都市や村落部を占拠、キール派の部隊と争奪戦を繰り返した。2013年に内戦勃発以降、主要な戦闘はディンカ人、ヌエル人が居住する国の北東部で行われてきたが、ここにきてこれまで比較的平穏だった南部のエクアトリア地方まで南下して、地元住民と軋轢が生じていた。武装した牧畜民グループが住民を排除して牧営地を確保する例も相次いだ。
 こうして、エクアトリアの広範な地域に暴力が拡散することになった。軍、民兵、武装グループが村落襲撃して略奪、殺戮、誘拐、家屋への放火を繰り返し、多くの村々が無人化した。2016年の後半だけでこの地域から数10万人が国境を越えてウガンダに逃げた。山中に逃れたままの住民、ジュバに避難した住民も含めて、避難人口の総数は推計すら難しい。
 襲撃された村からの避難民に対して食料や生活用品の支援を行った際、私(今井)はその時の状況の一部を聞くことができた。突然の銃声とともに、子どもたちは斧やナタで殺され、切り刻まれた死体が家屋に投げ込まれ放火される……話から凄惨な様子が伝わってきた。
 その村は、何万という家畜を従えた牧畜民グループに襲撃されていた。ディンカ語を話す襲撃者たちはキール派の政府高官の名前を挙げて、「この土地は(その人物から)自分たちに与えられたものだ。立ち退かない者がいれば暴力で排除する」と告げたという。
 エクアトリア地方は十分な降雨量があり耕作の適地としてしられるが、多くの村が破壊され、その周辺が牧営地になっていると聞いた。それでも生き残った家族たちが懸命に生きているのが印象的だった。現在この地域で進行している事態には、政府の実権を握るキール派とそれに連なる一部のディンカ人による土地収奪という側面があることは、見逃せないだろう。
 エクアトリア地方の村落へのこうした襲撃は、当然ながら地元住民の反抗を呼ぶ。住民の自警団や武装グループが組織され、やがてディンカやその同盟勢力に対する報復が始まるのは必然だった。
 昨年11月のある日、私(今井)は市内中心部の「ジュバ教育病院」の病室を訪れた。南スーダン人の友人の親戚がエクアトリア地方のイエイ郊外で襲撃され、運び込まれていたのだ。
 薄暗い病室では、頭に包帯をした三人の男性が、ベッドの上に座っていた。包帯の隙間から見える傷口が痛々しい。
 彼らはヌバという少数民族に属しているが、一部の武装したヌバ人がディンカ人武装勢力に合流して地元のエクアトリア住民を襲撃していた。そのため、報復のために銃を取ったエクアトリア人から、「敵はディンカとヌバだ」と標的にされた。
 びょうしつの3人は、昨年10月、仲間の男性や女性、子どもたちとともに、既に始まっていたヌバ人への報復を恐れて、イエイ郊外の難民キャンプに身を潜めていた。しかし突然、銃口を向けた男たちの襲撃を受けた。
 「男は縛りあげられ、女と子どもは全員連れ去られた」
 その後、斧で後頭部を殴られて気絶し、意識を取り戻した時には武装した男たちの姿はなかったという。仲間のうち2人は冷たくなっていた。その後、彼らは国連に救出されて治療のためにジュバに搬送されたらしい。
 「どうして自分たちが狙われないといけないのか」
 と彼らは言う。彼ら自身、ましてや女性や子どもが、エクアトリア人の襲撃に加わったわけではない。しかし、報復は相手を選ばないのである。ジュバに来た今も「退院しても、また襲われるのではないだろうか」と怯えていた。





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