« 東芝はどこへ―日本の原子力行政の破綻 ⑩ | トップページ | 加計学園問題の本質 ① »

2017年8月27日 (日)

東芝はどこへ―日本の原子力行政の破綻 ⑪

続き:
 金融庁は、東芝と監査法人の対立の調整に乗り出しているという。ここでの調整は2016年3月期の決算修正しかありえない。この結果、東芝は経営陣の特別背任容疑を抱え込むが、その対象者は既に退職しているか、あるいは、退職に支障のない人ばかりなので、東芝も覚悟をするしかない。新日本監査法人の抵抗もあるだろうが、そこは金融庁の処分権の裁量で納得させるしかない。そして、東芝メモリを2兆円で売却するのであろうが、そこに前述損害賠償請求、持分買戻請求、代位弁済請求、追加原価請求が押し寄せるので、東芝が2018年3月期の債務超過を回避して上場を維持できるかどうかは、それでも分からない。
 今にして思えば、東芝がWECの一括減損を行うチャンス2回あった。まず、東日本大震災が起き、東電福島原発の壊滅的な被害状況が判明した2012年3月期である。原発建設における薔薇色のビジネスモデルが崩壊したのだがら、東芝は、ここで一括減損をやっておくべきだった。次は、私(細野)が、『世界』2015年9月号で、東芝の粉飾決算疑惑の本命はWECの減損にあることを指摘したときである。この指摘を素直に受け入れていれば、東芝は、余計なS&Wの企業買収で巨額の追加原価を出すこともなく、現在に至る存亡の危機まで追いつめられることもなかった。
 想い起こせば、東芝がWECを買収したのは、それが日本の原子力行政に即したものだったからで、何を言われても頑としてWECの減損をおこなわなかったのは、原発によるインフラ輸出が国策となっていたからに他ならない。世耕大臣がのこのこアメリカまで出かけて行ったのも、東芝が日本の原子力行政の一翼を担っているからである。そしてその東芝は、虎の子の東芝メモリを売ってさえ、なお、その混迷に終止符を打つことができない。
 私(細野)には、東芝問題は、どこか根源的なところに嘘があるように思えてならない。東芝事件の根底にあるWECの「のれん」にしても、2011年3月の東日本大震災時における東電福島原発の惨状をTVで見た人は、WECの巨額の「のれん」に資産性が無いことは一発で分かる。それを東芝は、今回に至る迄6年間にわたり、WECの超過収益力を強弁してのれんの減損を回避してきた。
 WECの買収時における巨額の追加原価も同じことであろう。現在の米国原子力規制委員会(NRC)は、航空機の追突に耐えうる原発の安全性を求めている。東日本大震災後の世界の原発建設がそれ以前の経済採算を否定することは、誰が考えても分かる。それを東芝は、現在に至るまで、巨額の追加原価の存在を知らなかったと言い張るのである。
 今後想定される米国、英国、中国、インド各国政府との賠償交渉は東芝の手に負えるものではない。前述分析の通り、東芝が東芝メモリの売却益を非課税で手に入れるためには、チャプター11におけるWECの再生計画は米国政府の合意がなければ認可されず、米国政府の融資保証と米国民雇用が担保されない限り再生計画に合意しない。原発の建設途中で梯子を外された英国、中国、インドも黙っていない。これらの外交解決は、東芝の原子力事業の課題では無く、日本の原子力行政と原子力外交上の問題なのである。迷走する東芝に着地点は見えないが、この混迷は、虚構の上に詭弁を重ねてきた日本の原子力行政の行き詰まりを示唆すると考えるべきであろう。





« 東芝はどこへ―日本の原子力行政の破綻 ⑩ | トップページ | 加計学園問題の本質 ① »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東芝はどこへ―日本の原子力行政の破綻 ⑪:

« 東芝はどこへ―日本の原子力行政の破綻 ⑩ | トップページ | 加計学園問題の本質 ① »