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2017年12月 1日 (金)

弱くて強い植物の話(1) ①

 「人間と科学」第282回:コピー・ペーをする。
稲垣 栄洋(静岡大学農学部教授)さんの専門は「雑草学」である。
 そう聞くと、ずいぶん変わった学問であるものだと思うかも知れない。しかし、農業や緑地管理にとって雑草は深刻な問題である。そのため、世界中で多くの研究者たちが、雑草の性質の解明や防除法の開発に取り組んでいる。それなのに、どうして変わった研究だと思われてしまうのだろう。
 それは雑草という言葉の持つイメージに原因がある。日本には、「雑草魂」という言葉があり、たくましさの象徴ともされてきた。そのため、多くの人たちは「雑草学」と聞いたときに、道端で踏まれながら、頑張っている雑草を、想い描いてしまうのである。
 しかし、「雑草」という言葉に、このような反応をするのは、著者(稲垣)が知る限りでは日本人だけである。欧米では、雑草は悪いもの、邪魔なものというイメージが強い。そのため、雑草を研究することは役に立つ研究だとすぐに受け入れられる。もちろん、日本でも雑草は邪魔なものである。しかし、日本人はそんな雑草の中にたくましさを見い出す。そして、時に雑草からさえ生き方を学ぶのである。
 これは日本人が培ってきた世界に誇るべき自然観であると思う。雑草学者が変わり者扱いされるくらいは我慢するしかないだろう。
 雑草というと、「踏まれても踏まれても立ち上がる」というイメージがある。本当だろうか。
 じつは、雑草は踏まれると立ち上がらない。1度や2度踏まれたくらいであれば、立ち上がるだろうが、何度も踏まれると立ち上がらないのである。「雑草は踏まれたら、立ち上がらない」これが真の雑草の姿である。
 雑草魂というのには、あまりにも情けないと思うかも知れないが、そうではない。
 植物にとって、もっとも大切なことは、花を咲かせて種子を残すことである。その目的からすると、踏まれても立ち上がろうとすることは、無駄なことである。それよりも、踏まれながら花を咲かせて、種子を残す方にエネルギーを注ぐ方がずっと合理的である。だから、雑草は踏まれたら立ち上がらないのである。人間の根性論よりも、植物の生き方はずっと合理的なのだ。
 




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