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2017年12月31日 (日)

カズオ・イシグロの世界 ②

続き:
ダーリントン卿にお仕えした長い年月の間、事実を見極められるのも、最善と思われる進路を判断されるのも、常に卿であり、卿お一人でした。私は執事として脇に控え、常に自らの職分にとどまっておりました。最善を尽くして任務を遂行したことは、誰はばかることなく申し上げることができます。……卿の一生とそのお仕事が、今日、壮大な愚行としかみなされなくなったとしても、それを私の落ち度と呼ぶことは誰にもできますまい。
 自信満々に見える述懐ではあるが、スティーヴンズ自身、その生き方をよかったのか、疑念にさいなやまされている。ユダヤ人に対する露骨な差別意識を含め、卿の見解の判断への反感・嫌悪は、じつに彼の回想のそこ此処にしめされる。
 そして、回想の旅の末に、同じ屋敷の女中頭であった女性から、自分に寄せていた思いを告白された後には、彼の自己弁護はもはや自身をも納得させることができなくなる。
卿は勇気のある方でした。人生で一つの途を選ばれました。それは過てる途でございましたが、しかし、卿はそれをご自身の意思でお選びなったのです。しかし私は……私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。
 人が自らの生涯に意味を見出そうとするとき、手掛かりとするのは自身の記憶である。客観的な証拠に基づき、学問的作業を経て研究者が到達する「歴史」ではない。記憶は歴史とは異なる。しかし記憶も、他者と共有可能なものでなければ、自身の生涯を意義づける確かな証拠とはならない。それは、個人の場合も、民族の場合も、同じである。
 イシグロの最新作『忘れられた巨人』はファンタジー小説だということになっている。巨人は登場しない。妖精や鬼やドラゴンは登場するから、探偵が登場すれば探偵小説だという意味では、『わたしたちが孤児だったころ』も探偵小説であろう。妖精や鬼やドラゴンが登場するから、『忘れられた巨人』もファンタジー小説と言えるのだろうか。
            内容―― 次回。





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