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2018年1月20日 (土)

「壁」を知る 移民作家

森原龍介、高木勝悟― (ストックホルム、ロンドン共同) さんらの記事:コピー・ペー:
 長崎生まれの英国人作家カズオ・イシグロ氏(63)にノーベル文学賞が贈呈。2017/12/07、講演では、さまざまな分断や人種差別主義の台頭など、世界各地で表面化している危機的状況を強く訴えた。複数の文化のはざまで育ち「壁」を肌身で知る移民作家の言葉は重い。
 ストックホルム中心部の老舗書店。特設コーナーには、イシグロ作品の原書やスウェーデン語訳が並ぶ。店主は「どれも読みやすい。ずっと売れ続けるでしょう」
 スウェーデンの日刊紙ダーゲンス・ニュヘテルのビョン・ビマン文化部長は、昨年受賞したボブ・ディラン氏が授賞式に現れなかったことに触れ、「”悲劇”を繰り返さず本物の作家を選ぶことが大事。その意味で賢明な選択だった」と2017年のスウェーデン・アカデミーの選考を評価した。
 「人間への深い尊敬が込められている」と作品を称賛するのは、アカデミー会員のアンデシュ・オルソン氏。「多くの作家が国から国へと移動する現在、文学という国際的な営みを国家の枠で語ることは不可能だ」と話した。
 イシグロ氏は講演で、野心的な若い移民作家たちは今、自分のルーツを題材にすることを「ほぼ直感的にやっている」と指摘。だが、自身が初めて日本を小説に描いた1979年から80年ごろにはそうした雰囲気はなく、書くのをためらう時期もあったと明かした。
 その後、長崎を舞台にした長編第1作「遠い山なみの光」を発表。第2作「浮世の画家」が出版された80年代半ば、イシグロ氏を取材したロンドン在住のフォトジャーナリスト加藤節雄氏(76)は「日本的というレッテルに反発し、『英国の作家として認められたい』とこぼしていた」と振り返る。「3作目は日本的でない作品を書く」とも語っていたという。
 その言葉通り、代表作となった長編第3作「日の名残り」は英国執事の物語だが、単に「英国的」小説を書くつもりもなかった。講演でV・S・ナイポール氏やサルマン・ラシュディ氏といった移民作家の先達の名を挙げ「私は彼らのように、容易に文化と言語の境界を超える”国際的な”小説を書きたかった」と当時の心境を語った。
 5歳で家族と渡英したのは1960年。日本はわずか15年前まで英国にとっては、敵国だった。暮らしていた街に外国人の姿は無く、小学校で唯一の非英国人だった。講演では、自身の幼い頃について「英国のコミュニティーが、私たちの家族を受け入れた寛大さに驚かされる」と語った。
 この回想が逆に照らすのは、現代の世界を覆う排他的な雰囲気だ。自身も反対の論陣を張った英国のEU離脱などを念頭に「当たり前だと思っていた、リベラルで人道主義的な価値観の進展は、幻想だったのかもしれない」と危機感を表した。
 半面、作家の使命を感じてもいる。「物語とは、ある人物が別の人物に話し掛けることだ」。物語の力が国境や分断を乗り越える糧になる可能性を見つめている。
 





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