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2018年1月25日 (木)

カズオ・イシグロ氏の講演 ④

続き:
 1999年10月、私は、国際アウシュビッツ委員会を代表したドイツの詩人クリストフ・ホイブナーの招待を受け、かっての(ナチスの)強制収容所を訪れ数日間を過ごした。私の宿泊先は、アウシュビッツ強制収容所と、2マイル(約3km)離れたビルケナウ収容所の間にある施設だった。これらの現場を案内され、3人の生存者と非公式に面接した。私たちの世代がその影の下で育った暗黒の力の核心に近づいたと、少なくとも地理的には感じた。湿った午後のビルケナウで、瓦礫だらけのガス室跡の前に立った。私を招いてくれた人々は、彼らのジレンマについて語った。これらの遺構を保護すべきか。後の世代の目に触れるように維持するため、アクリル素材のドームを造るべきか。それらがゆっくりと自然に朽ち果て、何もなくなることが許されるべきなのか。私には、より大きなジレンマの強烈な隠喩に思えた。このような記憶をどうやって保存すべきか。ガラスのドームは、悪と苦痛の遺構を、管理された博物館の展示物にするのだろうか。記憶にとどめるために何を選択すべきなのか。忘却し、前に進むためにより良いのはいつなのか。
 私は44歳だった。その時まで、第2次大戦とその恐怖や勝利については、親の世代に属することだと考えていた。だが、これらのとてつもなく大きな出来事をじかに目撃した多くの人々は近い将来、いなくなるということが、ふと頭に浮かんだ。それから何が起きるのか。記憶にとどめることは、私たちの世代の責任になったのか。私たちは大戦を経験していないが、人生が大戦によって消え去ることなく形作られた親たちに、少なくとも育てられた。私には今、なかった義務があるのではないか。親の世代から私たちの次の世代に、できる限り未来へ記憶や教訓を伝える義務があるのではないか。
 しばらくして、私は東京で聴衆に話をした。質問者の一人が、私の次の仕事は何かというような質問をした。より具体的には、私の作品はしばしば社会的、政治的な大変動の時代を生きてきた個人、人生を振り返り、暗く恥ずべき記憶を受け入れることと格闘している個人をテーマにしていると、その質問者は指摘した。私の将来の作品は同じような領域をカバーし続けるのかと、彼女は問いを投げ掛けた。
 私は全く準備していない答えをしているのに気付いた。その通りだと、私は言った。しばしば忘却と記憶の間で葛藤する個人について書いてきた。しかし将来は、国家や共同体が同じ問いに直面したら、どうなるかということを、物語として書きたい、と言った。国家は個人と同じように記憶をとどめ、忘れ去るのだろうか。そこには重大な違いがあるのか。国家の記憶とは厳密に何なのか。それはどこにとどめてあるのか。どうやって形作られ、コントロールされるのか。暴力の連鎖を止め、混沌や戦争へと崩れ落ちていく社会を止める唯一の方法が忘却だという時代はあるのか。他方、安定し自由な国々は、意図的な記憶喪失や、いらだつ正義という土台の上に真に構築できるのか。これらのことを書くすべを見つけたいと、質問者に話している自分の声が聞こえた。だが、その瞬間、不幸なことに、どのように、それをするかを、私は考えることができなかった。





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