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2018年1月24日 (水)

カズオ・イシグロ氏の講演 ③

続き:
 3年半後、1983年の春。ローナと私はロンドンで、細長い建物の最上階にある二つの部屋で暮らしていた。建物は街で最も標高の高い場所の一つである丘の上にあった。居間にはソファも肘掛椅子も無く、クッションを載せた二つのマットレスが床に置いてあった。大きなテーブルもあり、昼間は私の物書き用、夜は私たちの食事場所だった。豪華なものではなかったが、私たちはそこでの暮らしを気に入っていた。私はその1年前に最初の小説を出版しており、また短編映画の脚本を書き上げ、近く英国のTVで放映されることになっていた。
 私はしばらくの間、自分の最初の小説をある程度誇らしく感じていた。しかし、その春までには、小説の出来に満足しない気持ちに絶えず悩まされるようになった。問題はこうだった。私の最初の小説と最初のTV用脚本は、あまりにも似すぎていた。それはテーマの問題ではなく、方法とスタイルだった。よく見れば見るほど、私の小説は会話に演出を加えた脚本に似ているように思えた。他の形では伝えられない独自のものを小説が提供できなければ、映画やTVに対抗して小説が生き残ることを望むべくもない。
 その頃、私は体調を崩して数日間寝込んだことがあった。最悪の状態から脱し、ずっと寝ていたいと思わなくなった時、暫くの間うっとうしく感じていた寝具の中の重い物体が、実はマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の第1巻だということに気付いた。私は読み始めた。まだ熱があったことが影響したのかもしれないが、私は「序曲」と「コンブレー」の部分に夢中になった。繰り返し読んだ。文章の美しさはさておき、私はプルーストがエピソードを展開していく手法に興奮を覚えた。出来事や場面の順序は、通常のような時系列でも線的な筋書きでもなかった。代わりに、移り変わる思考や気まぐれな記憶といったものが、エピソードを次に進めているようだった。時折、私はこのように考えた。この一見関連のない二つの瞬間が、どうして語り手の頭の中では並んでいるのだろう。私は突然、2作目の小説を書く、より自由で心躍る方法に気付いた。ページ上に豊かさを生み出し、どんなスクリーンでも表せない心の中の動きを表現できるものだった。もし語り手の思考の関連や移り変わる記憶によって文章を展開することができれば、抽象画家がキャンバスで形や色彩の配置を選ぶのと似たような方法で描ける。2日前の場面を20年前の場面のすぐ横に配置し、読者にその二つの関係を考えてもらうこともできる。
 33歳だった1988年3月、家にはソファがあり、寝そべりながらトム・ウェイツのアルバムを聴いていた。その前年にローナと私はサウス・ロンドンのおしゃれではないけれど雰囲気の良い地区で家を買い、私はその家に初めて書斎を構えた。小さくてドアもなかった。それでも1日の終わりに散らかした原稿を片付けなくて良いことに感動した。三つ目の小説を完成させたのはその書斎だった。初めて日本をテーマにしなかった。それまでの小説を書き、私の中の日本はいくらか壊れにくくなっていた。事実、「日の名残り」と名付けた新しい本はこの上なく英文学のようだった。ただ、それ以前の英国作家の作風とは異なると願った。彼らの多くは全ての読者が英国人で生まれながらにして英国の機微や関心事をよく知っていることを前提にしていると感じられ、私はそうしないように心がけた。その頃はサルマン・ラシュディやV・S・ナイポールといった作家がより国際的で外の世界に目を向け、英国を中心にせず、無意識に重要視することがない英文学の道を切り開いていた。私は英国特有の世界のようなものを舞台にした物語を書いていても、彼らのように文化的、言語的な境界を容易に超える「国際的な」小説を書きたかった。
 私が書き終えたのは英国人執事の物語だった。彼は誤った価値観で人生を過ごしたと気付くのが遅すぎた。最も大事な時期をナチスの支持者に仕えることに費やし、道義的、政治的な責任を取らず、深い意味で人生を無駄にする。さらに完璧な奉仕者になろうとするため、気に掛けていた女性を愛し、また愛されることを自身に禁じた。
 私は数回、原稿を読み返し、まあまあ満足していた。ただ、何かが欠けているといううっすらとした感覚があった。
 そしてある夕べ、話した通り、私はトム・ウェイツを家のソファで聴いていた。トム・ウェイツは「ルビーズ・アームズ」という歌を歌い始めた。ご存知の人もいるかもしれない。ベッドで眠る恋人を置いて去る男、おそらく兵士のバラード。朝早く、道を進んで列車に乗る。いつもと違うことは何もない。しかし、しかし、歌声の主はしわがれた米国人の流しのようで、深い感情を表現するのに全く慣れていない。曲の途中で胸が張り裂けると歌手が歌う瞬間が訪れる。それは感動そのものと、明らかに打ち負かされた大きな抵抗感とのせめぎ合いによって、ほとんど耐え難いほど感動的だった。
 トム・ウェイツを聴き、まだやり残したことがあると気付いた。私は英国人の執事が感情的な自己防衛を最後まで続け、それを彼自身や読者から隠せるといつの間にか無意識のうちに決めつけていた。それを隠さなければならないと分かった。物語の終わりにかけて慎重に選び抜いた一瞬だけ、彼のよろいをひび割れさせ、その下にある大きくて悲しい切望が垣間見えるようにしなければいけなかった。
 この他にも数多くの機会で歌手の歌声から非常に重要な教訓を学んできた。歌詞というより、歌うという行為からだ。ご存知の通り、人の歌声は不可解なほど複雑に混じり合った感情を表現できる。長年の間、私の作品のある側面は、ボブ・ディランやニーナ・シモン、エミルー・ハリス、レイ・チャールズ、ブルース・スプリングスト-ン、ギリアン・ウェルチ、私の友人で共同制作者のステイシー・ケントらの影響を受けた。





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