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2018年1月27日 (土)

カズオ・イシグロ氏の講演 ⑥

続き:
 私は最近、何年も幻想の中に生きていたことに気が付いた。私の周囲にいる多くの人々の苛立ちや不安に気付いていなかった。文明的で刺激的な、皮肉屋で寛大な人々でいっぱいの私の世界は、実際には私が想像していたよりずっと小さい世界だったことを認識した。私にとっては気がめいることだったが、2016年は欧州や米国における驚くべき政治的出来事と、世界中で起きた不快なテロ行為の1年だった。その1年は私に、少年時代から当たり前だと思っていた、リベラルで人道主義的な価値観のとどまることのない進展が幻想だったのかもしれないと教えてくれた。
 私は楽観主義に傾倒した世代の一人で、そうなって当然だった。私たちは、先人たちが欧州を全体主義体制、大量虐殺、歴史的に前例のない大虐殺の場所から、誰もがうらやむ、国境がほとんどない自由民主主義的な地域に見事に変えた姿を見た。私たちは、フェミニズム、同性愛者の権利、人種差別に対するいくつかの闘いにおいて、重要な進歩を見た。私たちは、資本主義と共産主義間の、イデオロギーと軍事の両面での大きな衝突を背景に育ち、私たちの多くが幸せな結末だと信じたものを目撃した。
 しかし今、振り返ってみると、ベルリンの壁が崩壊して以降の時代は、自己満足と、機会が失われた時代のように思う。富と機会における巨大な不平等が、国民、国家間で増大することが許されてしまっている。特に、03年の悲惨なイラク侵攻、08年の恥ずべき経済破綻後に、一般の人々に押し付けられた長年の緊縮財政政策は、極右的なイデオロギーと民族的ナショナリズムが蔓延する現在を引き起こしてしまった。伝統的な形、さらに近代化された、より至上主義的な形で、人種差別主義が再び台頭して、まるで埋葬された怪物が目を覚ましつつあるように、文明化された通りの下でうごめいている。私たちは現時点で、私たちを団結させる進歩的な大義を持っていないように思う。それどころか、西側諸国の豊かな民主主義国家の中でさえ、私たちは、資源や権力を巡って激しく争うライバル陣営に分裂している。
 すぐそこには、あるいは既に角を曲がってしまったのかもしれないが、科学や技術、医学における驚くべき進展によって引き起こされた課題が横たわっている。CRISPRといったゲノム編集技術のような新たな遺伝子技術に加え、人工知能、(AI)やロボットの進歩は人命を救う上で素晴らしい恩恵をもたらすが、アパルトヘイト(人種隔離)に共通したむき出しの実力社会や現代におけるエリート層を含めたおびただしい失業を生み出すかもしれない。
 ここで60代の私は目をこすり、昨日まで存在すら信じなかったこの世界を、霧の中から輪郭を見定めようと努めている。古くさい知識の世代のくたびれた作家である私は、こうした不慣れな場所に目を向けるエネルギーを今見いだせるだろうか。社会が巨大な変化に合わせるためもがく際に訪れる議論や闘争、戦争に対し、情緒的な一部分を呈示するため大局観を提供し得る何かが私に残されているだろうか。
 引き続き努力せねばならないし、最善を尽くさねばならない。というのも文学は重要であり、困難を乗り越えようとしている時、特に重要になるだろうと信じているからだ。しかし、私たちを鼓舞し導く若い世代の書き手にも私は期待する。彼らの時代であり、彼らは私の欠いている知識と才能を持っている。本や映画、TV、劇場といった世界で私は今日、冒険心に満ち心躍る才能を見るし、それらの才能は女性も、男性も、40代も30代も20代にも見いだす。だから私は楽観的だ。
 世界全体を正しい場所に据えるのは難しいことだが、私たち自身の小さな持ち場にどうやって準備できるかを少なくとも考えさせて欲しい。私たちが本を読み、書き、印刷し、推薦し、非難し、賞を与える「文学」という持ち場についてだ。もし私たちがこの不確実な未来で重要な役割を担おうとするなら、もし今日や明日の書き手から最良の本を得られるとすれば、私たちがより多様であらねばならないと私は信じている。これは特に二つの点においてだ。





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