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2018年2月28日 (水)

トランプのアメリカに住む<6>―①

続き:
 1990年代初頭と2010年代後半で、インターネットが示す未来の地平は劇的に反転した。かってインターネットに期待された無限の可能性は、このメディアでは誰もが気軽に発信者となれることに結びついていた。参入障壁が低く、「普段の自分」を隠したまま自由に意見が言えるので、この空間での人々のふるまいは脱規範的となる。そうしたネット空間の匿名性と自由が、逆にこの空間への政治的介入の余地を生み、やがてこれを不可視の監視空間に転化させていくのだ。
 実際、匿名性ゆえに数々の問題を生じさせたソーシャルメディアは、今では新しい創造者というよりも、秩序や倫理を混乱させる厄介者とみなされつつある。その結果、そんなメディアはきちんと監視し、管理すべきだという声が市民社会の側から高まり、世論への対応として政府が新しい法的規制に乗り出すこととなるのである。
 既述のように、2016年の大統領選の結果にフェイクニュースが影響を与えたこと、そこにロシアの諜報からマケドニアの若者たちまでの介入があったことは事実である。従って、そうした動きを放置していたソーシャルメディアの責任は免れないと今では多くの人が考えている。
 すでにアメリカ議会では、ロシア疑惑と絡んでフェイクニュースの温床となったネット企業への批判が高まり、第三者がネット上に載せる情報の内容について彼らに責任を負わせる法案の検討が始まっている。
 目下、具体的な動きとして生じているのは、共和党のジョン・マケイン議員らが超党派で議会に提出したネット広告規制法案 (The Honest Ads Act)で、政治的広告に関しては、 TVやニュースペーパーと同じようにソーシャルメディアにも誰がその広告のスポンサーなのかを開示する義務を課するものである。
 今までそうした義務がなかったこと自体が驚きだが、ソーシャルメディアは、これまで自分たちが「メディアではない」、つまり様々な情報の送り手が利用する通信媒体にすぎないと主張してきたので、コンテンツに対するメディアとしての責任を免除されてきた。
 しかし、ソーシャルメディアは、その機能や影響からして間違いなく「メディア」であり、それだけが特別扱いをされる理由はない。議会の議論はいずれ通信品位法230条も見直し、彼らにも利用者の投稿内容について一定の責任を負う義務を課す方向へ進んでいくだろう。
 問題は、いずれニュースペーパーやTVからソーシャルメディアまでがコンテンツに対する責任の面で横並びになったとき、いかにして人々の発話や表現の自由の領域を新しいメディア環境のなかで持続的に確保していくかという点である。すでにトランプ大統領は、「フェイクニュース」報道を逆手にとり、政権に批判的なメディアを片端から「お前はフェイクだ」と非難している。
 この大統領には、およそ論理というものが通用しないらしい。「あなた自身がフェイクそのもの」と言いたくなるが、そんな言葉も彼には何の意味もない。むしろ政権は、メディアの情報に対する責任という論理を逆手に取り、
 ネット上の情報に対する監視を強化してくるかもしれない。
 アメリカの国益を守り、外からの介入を防ぐには、ネット空間のより徹底した監視が必要との論理である。




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