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2018年3月28日 (水)

米朝戦争の危機と日本の針路 ⑥

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 特に、アメリカが核保有国と直接戦争した経験がないことを考慮すれば、北朝鮮の核放棄へのプロセスが長引くほど、アメリカの核の傘への信頼は、根本から揺らぎかねない。
 こうした苛立ちの中から、アメリカ戦術核の日本配備や、自前の核武装への誘惑が生まれてくる。しかし、こうした動きが核放棄のプロセスに悪影響をもたらすことは当然であるばかりか、戦場で使われる核である戦術核の存在が相手に先制攻撃の誘因を与えることにもなる。
 日本独自の核武装に至っては、日本が軍事的自立を求めないことを前提としてきたアメリカとの同盟関係の構造を揺るがす問題であり、政治的にも論外と言えよう。また、唯一の被爆国として核廃絶の国際世論を牽引すべき日本が核武装を選択すれば、世界の核秩序は崩壊する。核の恐怖に核によって対抗しようとする試みは、かえって核の拡散をもたらし、核の恐怖を増大する結果に終わることが目に見えている。
 だからと言って、こうした発想を一概に切り捨てるだけでは何の解決にもならない。核が、相手の完全な破壊を可能にする兵器として登場した背景には、力には力で対抗しなければならないという伝統的な力への信奉があるからだ。アメリカの抑止力に依存する発想の先には、それが当てにならなければ自らの力で対抗するという論理が続く。
 ここで、脅威について考えてみよう。脅威とは、攻撃する能力を持った国が攻撃の意志を持ったときに現実化する。今日の日本が直面する問題は、日本を攻撃する能力を持った国がそこにあるということだ。その能力とは核を搭載したミサイルであり、能力を止められなければ、とるべき方法は、より強い能力を持って威嚇すること(すなわち抑止力)ではなく、攻撃の動機をなくすことである。単にどちらの力が優っているかという発想ではなく、新たな戦略的選択肢が見えてくるのではないだろうか。
 意志は変わりやすいから、構築に時間がかかる能力に着目して防衛力を整備するというのが、従来の発想だった。だが、資源が有限である限り能力への対応には限界がある。能力のギャップをどうカバーするかが問われることになる。それが本来、政治・外交の役割のはずだが、今日の日本では、それをもっぱらアメリカの軍事力に頼ろうとしている。
 そのアメリカの能力に疑いはないが、意志は可変なのだ。そこに、永遠に終わらない不安の根源がある。脅威と同じで、抑止も、能力と意志の掛け算だからだ。それゆえ、意志の根源にある戦争の動機にアプローチする手法、すなわち、妥協の戦略が必要になる。そして、「何を妥協するか」こそ、政治・外交の本来の舞台である。
 戦争のもとになる国家間の対立があるから、国は抑止を求める。それは、相手との相互作用によって終わりの見えない力比べのプロセスとなる。それを「平和」と呼ぶのか、それとも、国家間の対立をなくすことによって戦争の恐怖から解放されるという意味の「平和」を求めるのか。北朝鮮ミサイルが巻き起こした戦争の恐怖の中で、戦後70年間忘れられてきた平和の意味を考え直す機会になればよいと思っている。





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