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2018年4月17日 (火)

トランプのアメリカに住む パート3 ハーバードで教える ⑤

続き:
 個々で決定的な役割を演じるのは、教授よりTAである。シラバス同様、日本の大学も昨今は形ばかりTAせいどを導入しているが、多くの場合、担当講師のお手伝いという域を出ない。だが、吉見の科目でTAをしてくれたKさんの仕事ぶりは、吉見のお手伝いというレベルをはるかに超えていた。
 彼女はシラバスで課題文献を決めていく際、吉見と議論をし、その目的ならこんな文献があるとか、この文献の量を少し多すぎるとか助言をしてくれた。授業の広報ポスターを作成し、
 課題文献のPDFファイルをハーバード大学のすべての授業で用いられているウェブサイトにアップロードした。授業が始まると、毎週、授業前に、1時間ほど吉見とミーティングをして、その日の授業の狙いや個々の学生の理解度について意見交換をした。そして授業でも、学生たちの議論をリードするのは彼女の役割だった。毎回、課題文献について1人の学生に発表させたが、彼女はその学生に適切なアドバイスを与えていた。
 さらにハーバードでは、教授のオフィスアワーとは別に、TAが学生たちの研究相談に応じるオフィスアワーを設けており、おそらく彼女は吉見以上に多くの学生の細かな相談に乗っていた。今回の授業ではなかったが、一般にはTAは教授の授業以外にもう1コマ、参加学生との討論クラスを運営する。
 授業での議論を聞いていても、学生たちが担当講師の吉見とは別の意味で、TAのKさんのことを尊重しているのがよくわかった。Kさんも学生たちを大切にしており、一度、諸般の事情で授業時間を夕方に移させてもらったことがあったが、彼女はなんと大学側と交渉して、参加者のお弁当を用意させる芸当までやってのけた。
 授業の最終週が終わると学生たちは最終論文を提出するが、そのすべてをTAは担当講師と共に読む。そして吉見がそれぞれの論文に対して下す評価に、個々の学生の取り組みを丁寧に見てきた立場から彼女なりにの意見を加えてくれた。
 要するに、吉見の秋学期の授業が、KさんのようなTAなしにはまったく成立しなかったことは明白であった。
 TAは、教授の単なるお手伝いではない必要な存在なのである。
 たしかに吉見がハーバードのことをよく知らない日本人教師だから、大学側が配慮してKさんのようなTA特別に優秀なTAを充ててくれたくれたのかもしてない。おそらくハーバード大学ですら、TAの能力の平均値はKさんほどではないだろう。大学側の配慮に感謝しているが、それにしてもKさんのTAとしての仕事ぶりは、私(吉見)がこれまで日本の大学で考えていたTAの概念を根本からひっくり返すに十分だった。
 個人差はあるにしろ、日本の大学では、まだこうした意味でのTAの概念が成立していない。制度としてTAを導入したり、TA雇用のための予算を充当したりするのも必要だが、それ以前にそもそもTAは担当講師のお手伝いではないこと、TAのいる授業では、担当講師の位置づけや授業の組み立てそのものを従来の講義とは変えていく必要があることを前提的な共通認識として確立すべきである。
 苅谷剛彦が論じたように、TAはアメリカの大学の教育と研究を媒介とする要の位置に発達してきた職能である。その教育が劇的に増えたのは、1960年代で、経済成長の中で大学生の増大は大学教授の需要を生み、その大学教授を育成する大学院が拡張し、その結果、大学院生に対する経済的支援策としてTAが増えていった。
 急増した学部学生への対応が、教授を手伝うTAをそれまで以上に必要とするようになった事情もあったとされる。
 さらに苅谷は、同じ頃に起きた大学教授職の変化が、TAの増大を促進したという。業績審査が厳しくなり、テニュア(終身雇用)の准教授、教授と昇進できなければ、下位の階層にそのまま留まるということが困難になったのである。「万年助手、万年講師」のような存在が消え、大学教育で下位の仕事を受け持つ教師数が減った。これらのことがTAの劇的拡大を促したのである(『アメリカの大学・ニッポンの大学中公新書ラクレ、2012年63~65p)』。
 TAの急増は、すぐさま2つの問題をもたらした。学部教育の質の低下とTAとなった大学院生自身の研究時間の不足である。このあたり、今の日本で博士課程の院生が務めることの多い非常勤講師職とやゞ似ているが、教育方法についてのトレーニングを受けていない大学院生がすぐに学部学生の授業を担当しても、必ずしも十分なレベルの教育をすることはできない。こうした批判から1970年代はTA改革の時代となった。
 TAセミナー等のTAに対するトレーニングの仕組みが整備され、TAが大学教育のなかで果たすべき役割が明確化されていった。苅谷に依れば、TAセミナーで取り上げられるのは、討論の進め方やレポートの出題法、シラバスの作成法や研究計画の指導法、講義での学生への対応等々、どれも具体的で実質的なものばかりである(東大でも、これに相当する未来の教授職のトレーニングプログラム「フューチャーファカルティプログラム」を全国の大学に先駆けて実施し、大きな成果を挙げてきた。大学全体のTA制度ではアメリカに遠く及ばないが、このプログラムは世界標準の試みと自負できる)。
 TAには、忙しい教授の補助業務をこなし、大学院生として経済的支援を受け、さらに教授の授業に準備段階から関与することにより将来の職業の為の予備的訓練をするという意味がもちろんある。しかし、1970年代以降、アメリカの大学でTA制度が整備されていく中で生み出されていったのは、大学生たちとの関係でTAが、教授とは質的に異なる指導的役割を果たすというもう1つの可能性であった。例えば、吉見の授業のTAをしてくれたKさんのようなTAがいる授業は、教授と学生が1対多で対面する授業とは異なるコミニュケーション構造を可能にする。いわば楕円形というべきか、教授の他にTAがコミニケーションのもう1つの中心をなし、この中心の複数化が、他の学生たちにも議論の中心となる可能性を開いていくのである。
 この場合、教授は授業というドラマの主役となるのではなく、TAや何人かの学生が主役になって活躍できる仕掛けを考える演出家だ。
 TAが学生たちとの対話の前面に出てくれるので、教授のほうは一歩下がって、そこで演じられていることの全体を見渡す余裕が生じる。
 主役としての教師から演出家としての教師へ(観客としての学生から演者としての学生へ)――― 日本の大学の授業でこの役割の転換を実現できるなら、形ばかりの対話型授業ではない。
 大学という場の権威構造を少しばかり転換させるスリリングなアクティブラーニングが実現する。―― はずだ。




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