« 熊本地震報告書 2016/04/14、2016/04/16、に発災日 概要 | トップページ | 文明と歴史、 そして病気(2)― ② »

2018年6月30日 (土)

文明と歴史、 そして病気(2)― ①

「人間と科学」第289回 小長谷正明(鈴鹿病院名誉院長)さんの文章をコピー・ペーする。
 ローマのサン・ピエトロ大聖堂に連なるシスティナ礼拝堂は、高い天井の仄暗い大きな空間であり、ミケランジェロの天井画『天地創造』 と祭壇の奥の壁画『最後の審判』が、鮮やかに網膜に焼きついてくる。そして、枢機卿たちが互選で新しいローマ教皇を決めるコンクラーヴェの場でもある。
 2013年3月には、前任のベネディクト16世の生前退位を受けて第266代教皇としてフランテェスコが選出されている。
 1623年のコンクラーヴェでは未曾有の事態が起きた。7月8日、グレゴリウス15世が在位2年余で熱病で死去し、枢機卿たちが召集された。
 この年の夏は、熱波に続いて熱病がローマを襲い、10人の枢機卿が倒れ、8人が亡くなった。外に控えていた従者たちも40人が犠牲になっている。24人の枢機卿に対して投票用紙が20枚だったのは熱病での死者を見越していたのだろうか。
 8月6日、ウルバヌス8世が選ばれた。彼自身も熱病に罹ったが、なんとか生き延びていた。― マラリアである。
 ローマは西欧の歴史の中心地であり、幾多の教皇や皇帝たちが永遠の都での覇権を争ったが、風土病のマラリアで命を落とした王侯も少なくない。この千年間では22人の教皇が熱病ないしはマラリアが死因であり、悪名高いボルジア家出身のアレクサンデル6世や、ミケランジェロに天井画を描かせたユリウス2世なども含まれている。中にはコンクラーヴェの翌日に発症し、在位12日で昇天した教皇すらいる。
 外からの侵入者は風土病に弱い。古代ローマ時代の末期にも民族大移動に伴って多くの”蛮族”がローマに襲来したが、長くは止まれなかった。5世紀初めに侵入してきた西ゴート族の族長アラリックは北部イタリアを活発に荒し回っていたが、ローマを攻略して南部に向かうと、瞬く間に熱病で死んでしまった。
 その後も、ヴァンダル族や6度にわたる東ゴート族などの侵攻があったが、いつも熱病が立ちはだかっていた。8世紀のフランク王国の学者アルクインは、ローマからの帰国後に時折襲ってくる高熱を”ローマの友達”と呼んだが、この”友達”のおかげで、ローマは守られてきたのだ。



フランt

« 熊本地震報告書 2016/04/14、2016/04/16、に発災日 概要 | トップページ | 文明と歴史、 そして病気(2)― ② »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/413185/73774256

この記事へのトラックバック一覧です: 文明と歴史、 そして病気(2)― ①:

« 熊本地震報告書 2016/04/14、2016/04/16、に発災日 概要 | トップページ | 文明と歴史、 そして病気(2)― ② »