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2018年7月 2日 (月)

文明と歴史、 そして病気(2)― ③

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 なお、マラリア原虫は1880年にフランス人軍医のラブランによって、ハマダラ蚊による媒介は1897年にイギリス人のインド衛生局医官によって明らかにされた。
 マラリアはローマ周辺だけではなく、地中海沿岸やアフリカ、インドにもある病気で、古代エジプトのミイラを調べると、かのトゥタン・カーメンも含めて、ほとんどのファラオが感染していたという。そして、原虫はイタリア人や地中海人であろうがなかろうが襲いかかり、1602年にはイタリアで4万人もが犠牲になっている。
 しかし、殆どの人は生き残り、また、マラリアに罹らなかった人も多い。北方から来た蛮族と違って、イタリア人などに致命的でないのは、医学的理由がある。
 一つには、遺伝性の地中海貧血という常染色体劣性遺伝の病気である。マラリア原虫は赤血球の中に入り込むので、軽症の人や保菌者の赤血球に原虫が入り込むと変形するので生きていけない。
 つまり、この遺伝形質は、マラリア流行地では生存に有利なのだ。全世界の5%が保菌者で、地中海周辺はさらに多い。アフリカでは、同様の遺伝性の鎌状赤血球貧血とマラリア原虫との関係が知られている。
 溶血性貧血のグルコース6リン酸脱水素酵素欠損症も地中海周辺に多く、マラリアに抵抗性がある。ある種の血液型や HLA でもいわれている。
 このように、古代からローマや地中海沿岸の人たちは遺伝的にマラリア抵抗性があり、この病気を友達とすることができるのだ。逆に、他の地域の出身者には厳しく、ローマ教皇も20c. 後半まではイタリア人以外が選ばれることはほとんどなかった。
 中世の時代、50年ごとの聖年では、ヨーロッパ各地からおびただしい数の巡礼たちの群れを襲い、故国に帰る道端に多くの死体が横たわったという。2000年の大聖年にローマを訪れたが、もはや”ローマの友達”のうわさはなかった。
 しかし、長い歴史の間、マラリアはこの”永遠の都”を巡る国々や民族の興亡、カトリック教会の盛衰の影の主役であったのだ。




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