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2018年7月23日 (月)

命を作る科学技術の制御という課題 ⑥

続き:
 このゲノム編集研究が欧米の科学者によって「中国の『暴挙』」と評されたというのはどこまで確かな情報だろうか。中山大学の研究チームの側に立って弁明すれば、この研究はβサラセミアという難病に苦しむ人や関係者にとって福音となりうる研究だ。また、基礎研究である。
 まだ安全性が確かめられていないので、臨床研究にもっていくにはだいぶ距離がある。そして、もともと着床・受胎しないはずの受精卵を使っているのだ。また、廃棄されるはずの受精卵を使っている。また、廃棄されるはずの受精卵を使っているから受精卵(人間の生命の萌芽)の破壊とは少し異なる。
 受精卵の研究利用としても許容範囲ではないか。また、次世代に続く可能性もないものだ。着床させる意図もまったくなかった。以上のような正当化ができるだろう。
 だが、それでも「そこまでやっていいのか」という衝撃が走ったのは確かだ。それはなぜか。もし、受精卵に対する基礎研究で安全性が高まり、難病等避けるためにゲノム編集技術が有用であることが分かった場合、臨床利用が求められることになるだろう。
 その場合、「難病等」の範囲をどこまで限定するのか。そもそも「難病等」を限定することが可能だろうか。他の方法で避けることができないある範囲の難病をゲノム編集で避けることができるとしたら、その範囲のすぐ外に位置づけられたような病気や障害等にも利用したいという声が高まることは目に見えている。その声を抑えて、範囲の限定を避けることができるだろうか。
 たとえ限定することができたとしても、かなり広い範囲の病気や障害等に利用されることになったとしよう。また、適用の範囲が際限なく広がっていくことを抑え続けることができるだろうか。エンハンスメント(増進的介入)にまで広がっていくのを抑えることができるだろうか。
 エンハンスメントというのは正常範囲内の人間の身体を変化させてより大きな能力等の特徴を得させようとするものである。
 すでに人間の体細胞へのゲノム編集でエンハンスメントが行われている可能性がある。筋肉増強のためにゲノム編集技術を用いる可能性があり、「遺伝子ドーピング」などと呼ばれている。薬物によるドーピングと異なり、検出が困難だ。
 もし、体細胞に対するゲノム編集でのエンハンスメント行われているのであれば、受精卵や配偶子(生殖系列細胞)に用いるなというのは難しいのではないか。
 このような懸念は「滑りやすい坂」理論 (slippery slope argument )と呼ばれることが多い。いったん許容すると、その適用限界を設定することはとても難しい。歯止めをかけること、押しとどめることができなくなってしまう可能性が高いということである。
 ヒト受精卵へのゲノム編集について、この重大な懸念に対する有効な反論がなされている例を筆者(島薗)は見ていない。ゲノム編集が世代を超えて用いられたり(次世代以降の疾病等を減らし、「より良いゲノム」に変えていくこと)、ひいてはエンハンスメントへと拡大したりすれば、人類社会の基盤を揺るがすような変化が起こりかねない。
 ここに人類史的な大きな問題があるわけだか、「それはまだ先の問題だから今は取り上げなくてよい」としているのだろうか。分かりやすい用語としては、「新しい優生学」とか「デザイナー・ベイビー」に対する懸念として世には知られているものだ。
 そうした懸念に対する研究推進側からの応答を見ることは殆ど無い。
 そのような懸念を認めると、研究仲間から白い目で見られるのだろうか。だが、それは無責任でないだろうか。
     <受精卵のゲノム編集で何が懸念されるのか  より>



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