« 文明と歴史、そして病気(3)― ② | トップページ | ビットコインの展望 ① »

2018年8月13日 (月)

文明と歴史、そしt病気(3)― ③

続き:

 だが、きれいごとではなかった。カナダに残されている記録では、メイフラワー号到着に先立つ1616年から1617年にかけてマサチュセッツ一帯に疫病が大流行した。ネイティヴの人口が減少した時に清教徒たちが来たので、比較的抵抗が少なかったらしい。

 ところが、1630年になって清教徒たちとマサチュウセッツ族に諍いが起こり、次いで痘瘡の大流行で部族側は壊滅的打撃を受け、ついには州名としてだけ残ることになってしまった。やがて、白人たちは周囲の部族を追いつめながら、植民地を広げていく。

 ネイティヴたちの疫病を、清教徒たちは神の恩寵と感じていた。1634年発行の New England's pros-pect に次のように書かれている。

 「主は痘瘡をもって彼らを打ち給い、争いに決着をつけられた。主はかくして彼らの闘争的な精神をただし給い、我ら主の軍勢の、これから来る者たちのために、その入るべき場所を空け給うた」

 痘瘡流行は北米大陸全般で見られ、4万人いた集落で数百人しか生き残れなかったという記録もある。ヨーロッパ人到着前のネイティヴの人口は2000万人以上といわれているが、20c.初めには25万人に減少してしまった。百年後には200万人以上に回復したが、それでもかっての 1/10 である。故意のバイオ・テロでなくても、ヨーロッパ人との出会いが大量死をもたらしたのだ。

 同じようなことが南米のインカ帝国でも、中米のマヤ文明でも、オーストラリアでも起こり;白人と接触するやいなや立ちどころに原住民は疫病に罹り、億単位の人々が死んでしまっていた。

 免疫などの抵抗力のない世界各地の原住民に、痘瘡をはじめ、麻疹や結核、チフス、赤痢、それにアフリカからの黒人が持ち込んだマラリアや黄熱病が襲いかかり、人口は90%以上も減少したこともある。ダーウインもこの現象を記載している。

 「ヨーロッパ人が歩みを運ぶところは、いずこも死が原住民を追及しているようにみえる…(中略)…原住民とヨーロッパ人が出会うところは、いたるところで例外なく熱病、赤痢そしてその他のいくつかの病気が発生し、大量の人々を奪い去る」

 さすがに彼は神の恩寵とは書いていないが、人種間でみられた適者生存の好例と考えていたようだ。

 文明の衝突はウイルスや細菌の衝突でもあり、新大陸からは梅毒がヨーロッパに、次いでアジアに渡り、世界的流行を起こした。が、王様などの個人的罹患で歴史の流れは多少の影響を及ぼしたものの、大量死で文明を崩壊させるほどではなかった。

 今日、アメリカやイギリスが生物兵器やバイオ・テロに敏感なのは、そのような歴史のどす黒い記憶があるからかもしれない。



« 文明と歴史、そして病気(3)― ② | トップページ | ビットコインの展望 ① »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/413185/74027092

この記事へのトラックバック一覧です: 文明と歴史、そしt病気(3)― ③:

« 文明と歴史、そして病気(3)― ② | トップページ | ビットコインの展望 ① »