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2018年9月 4日 (火)

文明と歴史、そして病気(4)― ①

「人間と科学」 第291回の文を小長谷正明(鈴鹿病院名誉院長)さんが載せている、― コピー・ペー : する。
 1812/12/18 深夜11時半、パリのテュイルリー宮殿に不格好な駅馬車がたどり着き、中から伸び放題のヒゲ面に、くたびれたロシア風の旅行用外套、それにクマの皮のブーツという姿の皇帝ナポレオンと侍従長が降り立った。
 7か月前にロシア遠征に大軍を率いて出征したはずだが、単身でみすぼらしい姿での帰還で、衛兵は誰だか分からなかった。
 翌々日の元老院で、皇帝は「ロシア遠征は、順調だったが、厳しい冬のために撤退せざるをえなくなった」と演説をした。順調なロシア遠征は”冬将軍”のために妨げられたというのだ。
 しかし、彼の大陸軍(グランダルミー)はロシア侵攻当初より、もっと強力で目に見えない”隠れ将軍”に間断なく襲われ、崩壊していったのだ。
 1812/06/24、フランスの勢力下にあったワルシャワ大公国 の東端ニーメン川を渡って、ナポレオン軍はロシアに侵攻した。約45万人の兵の1/3 がフランス軍で、残りは征服したオーストリアやドイツ、イタリアなどからなる多国籍軍である。
 さらに、軍の補助員、将軍たちの従者、兵士相手の商人、慰安婦など何万もの非戦闘員が続き、すべてがニーメン川を渡り切るのに一週間かかっている。パリから2000km 、モスクワ迄 800km の地点である。
 1789年の大革命後の混乱期を経て、フランスでは1804年にナポレオン・ボナパルトが皇帝となり、戦争を繰り返して、ヨーロッパ大陸をほぼ勢力下に収めていた。だが、敵対するイギリスとロシアがよしみを通じている徴候があり、それが、皇帝の疑心を煽ったのだ。
 しかし、すでにドイツ領からポーランド領に入ると悪路で行軍も補給も滞りはじめ、病人も出た。軍医長はポーランドで6万人が病気に罹ったと見積もり、ある将軍は軍の半分が使用不能と嘆いている。
 さらに、ニーメン川を渡ったロシア領では、フランスの貧民出身兵士でも驚く貧しさと不潔さで、住民のもつれた髪の毛や服はシラミだらけだった。補給が途絶えがちで飢えた兵士たちは腐ったものでも口にし、乾きから泥水どころか馬尿まで飲み、赤痢患者が多発した。




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