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2018年9月26日 (水)

文明と歴史、 そして病気(5)―①

「人間と科学」第292回 小長谷正明(鈴鹿病院名誉院長)さんの文章を載せる。コピー・ペー:
 1803/11/30、スペイン北西部の港町ラ・コルーニャからマリア・ピタ号がカリブ海の島に向かって出帆した。
 指揮官はフランシスコ・ザビエル・バルミス(Francisco Xavier Balmis)。イエズス会の宣教師ではなく、医師である。国王カルロス4世から与えられた使命は、中南米の植民地への種痘ミッションである。
 アメリカだけでなく、ヨーロッパでもアジアでも、痘瘡は恐ろしい病気だった。古代から流行しており、紀元前 12c. のエジプトのファラオ、ラメセス5世のミイラには組織学的検索で確定された痘痕、あばたが残っている。
 18c. ヨーロッパでは、全死亡者の10~15%が痘瘡であり、犠牲者の80%が子どもであったという。生き延びても、膿疱の痕があばたとなり、しばしば美貌崩壊の悲劇をもたらした。
 深刻だったのは、角膜損傷である。失明の一番の原因は痘瘡だったともいわれており、病気を生き延びても自然の中で生活できないので、アメリカ先住民の人口は激減したという説すらあるのだ。
 宋の時代の中国(AD1000年頃)では軽症の痘瘡患者の痂皮を子どもの鼻孔に吹き込む種痘が行われた(古事類苑・種痘伝習録)。
 人の痘瘡を植え付けるのを人痘といい、1717年にすでにトルコで行われていたのをイギリス人の子どもに受けさせた記録があるが、それ以前からヨーロッパ各地で「痘瘡を買う」という風習が庶民にはあったという。
 ただし、軽いにしろ発症はし、死亡率は2~4%で、リスクは高い。ロシアン・ルーレットのようなものだ。
 エドワード・ジェンナーが牛痘による種痘を思いついたのは、牛の乳搾りの娘たちは手に軽い痘瘡を患いやすく、人の痘瘡が流行しても罹らないからだ。1796年に牛痘による種痘を行い、効果を確認してから、1798年に論文を書いた。そして、あっという間に広まった。
 時のスペイン国王カルロス4世は、ゴヤの名画『カルロス4世の家族』で有名だ。太陽王ルイ14世のひ孫で、善人だが、統治能力はいまいち以下だった。
 優柔不断で王室をまとめきれずに国難をもたらしたと散々な評価だ。ナポレオンの侵略で国が乱れ、亡命先のイタリアで客死と、大変な時代を背負い込んでしまった不運だったともいえる。が、この王様は医学の歴史では、語り継がれるべきキャンペーンをプロモートした人物として記憶されている。―→ 人物だ。




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