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2018年9月27日 (木)

文明と歴史、 そして病気(5)―②

続き:
 彼は幼い王女を痘瘡で亡くしていた。病気の症状に貴賎はないはずだから、全身に膿疱ができてむごたらしい姿だったにちがいない。驚いた王妃は3人の王子に牛痘をうけさせた。王子たちは3日ほどの微熱だけで、妹に死をもたらした病気を発症することもなかった。
 効果に感動したカルロス4世はひらめいた。新大陸における自分の帝国では痘瘡が大流行を極めており、そこの臣民のも種痘のご利益を賜るのだと。
 1803/09/01 に勅令を発し、フランシスコ・ザビエル・バルミスが呼び出された。使命は、アメリカとアジアのスペイン領において無償で人々に種痘を施すこと。それらの地域に種痘の方法を教え、種痘の記録を残し、さらに将来に備えて痘苗を確保し続けることだった。
 11月、バルミスはマリア・ピタ号に乗船し、大量の種痘のパンフレットを積み込んでスペインを後にした。一行は隊長にバルミスと副隊長のサルバニ、3人の外科医と2人の救命士、それに4人の男性保育士と22人の孤児という極めて風変わりな構成である。当然、現地で種痘するための痘苗も携えていったものの、当時の技術では長期間の保管は難しかった。
 まず、出帆直前に最初の子どもの腕に牛痘が接種され、10日ほどしてその子の局部の膿を次の子に接種するという具合に繰り返した。不測の事態を避けるために、一度に2人の子どもに種痘しながら、アクティヴな痘苗を継代していった。
 1804年2月、カリブ海のプエルトリコに到着し、3月には南米のヴェネズエラに渡った。彼の地では、沢山の子どもたちの命を奪い去ってしまう疫病から解放する”王様の贈り物”として大歓迎された。
 ここで一行は二手に分かれ、副隊長のサルバニは南米のアンデス山脈沿いの各地で何万人もの種痘を繰り返し行った。ペルーでの実績は197,000人に上る。
 まさに難行苦行のミッションであり、サルバニは何度も熱病に罹り、1810年に34歳の若さでコロンビアの土となってしまった。
 一方、バルミスはまた船に乗り、同じように痘苗を継代しながらメキシコに向かった。




バル

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