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2018年9月28日 (金)

文明と歴史、 そして病気(5)―③

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 メキシコではさらに4歳から6歳の孤児を26人集め、1805/02/05 にアカプルコを出発して太平洋を横断し、1805/05/16 にフィリピンのマニラ到着した。ここでも種痘所を開いて積極的に接種をしただけでなく、東南アジア原産の水牛の子牛に牛痘を植え付けて、人に依らない継代を行った。
 種痘用の組織液を採取してガラスチューブに入れて遠くの地方にも輸送し、更にその地でも種痘がなされた。
 かってのスペインはコロンブスをして新大陸を発見せしめたように、探究心旺盛な海洋民族であった。宣教師フランシスコ・ザビエルがインド、中国、日本にと足跡を残したように、260年後の医師フランシスコ・ザビエル・バルミスもアジアでも活躍した。
 中国に渡り、マカオや広東でも種痘をしている。1806/09/07 バルミスはインド洋を横断してアフリカ南端の喜望峰を回ってマドリードに戻った。孤児たちの腕に牛痘を継代しながら、種痘キャンペーンで世界を一周したのである。
 しかし、カルロス4世はバルミスに帰国の挨拶の接吻を手に受けた翌年、ナポレオン率いるフランス軍の侵攻を受け、王位を追われた。スペインはフランス軍と抵抗するゲリラの戦場となって荒廃して、王は1819年に亡命先のイタリアで亡くなった。
 同じ年、フランシスコ・ザビエル・バルミスも66歳の障害を閉じている。輝けるミッションを支えた孤児たちは目的地の教会や修道院へ引き取られたようだが、その後の運命は詳らかではない。
 残念ながら、鎖国していた日本には二人目のザビエルは足を伸ばしてはくれず、種痘の恩恵を受けることはできなかった。文字情報として『泰西種痘奇法』がすぐに伝わったものの、痘苗そのものは40年後の1849年に、やっと長崎出島オランダ商館のドイツ人医師モーニケがもたらしてくれた。
 ひとたび、到来するや、たちまちにして日本国中に広がり、1860年代早々には祐宮(さちのみや)、後の明治天皇も、事前にさる公家の女の児で安全性を確認した上で、種痘をお受けになっている。
 痘瘡は1979年にアフリカのソマリアでの最後の患者で消滅し、種痘も過去のものとなった。


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