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2018年9月19日 (水)

「軍事機密費」 ④

続き:
   終わらぬ戦後処理―東京裁判判決70年を迎えて
 IPS の尋問調書に出会って10年近い。当初手がけたのはドイツ外交官の尋問調書だった。解読の結果、1940年に締結された日独伊三国同盟の外交交渉の内情が浮かび上がってきた。
 外相松岡洋右と、ドイツのリッベントロップ外相が派遣した特使ハンス・シュターマーとによる密室での交渉だった。日本側の要求をドイツはすべて承諾したとの松岡の説明で、閣議も枢密院でも同意を得て成立した同盟だったが、その松岡の説明がことごとく嘘だったことを、シュターマーや、駐日大使オイゲン・オットの供述は明白に物語っていた。
 三国同盟は日本の命運を決めた大きな転機だった。日本が対米戦争に踏み出す契機となったとされる <ハル・ノート> で、米国が日本に突きつけた要求の核心は三点だったが、 <三国同盟の破棄> はその一つだった。
 ところが、その同盟条約は嘘によって成り立ち、しかも内実はなにも伴っていなかった。
 驚きだった。見えてきた事実と同時に、そうした事実が戦後も長い間、明らかにされなかったことに驚いた。見つけ出した事実は、『虚妄の三国同盟』(岩波書店、2013年)として刊行した。
 知っていると思っていた歴史とは何だったのか。そんな思いからさらに尋問調書を私(渡辺)は読み続け、新たに見えてきたのが軍事機密費の謎と闇だった。かって戦争中に何があったのか。
 その戦争を進めるために、どのようなからくりがあったのか。さらには、そうした事実を、戦後社会はなぜ見過ごしてきたのか。そんなことを考える日々だった。
 5年がかりの作業を通じて、東京裁判を進めた国際検察局の内実も垣間見えた。この点では、米国人検察官のまとめ役だったフランク・タベナーが米国に持ち帰った資料にたどり着くことができたのが大きかった。
 何を目指して機密費の捜査に乗り出したのか。裁判官を軸に語られることの多い東京裁判だが、検察官をめぐる事情やその視点から眺めると裁判のまた異なる一面が浮かび上がってきた。
 この秋で、東京裁判の判決から70年。
 この裁判をめぐる論争は今日も絶えない。だが、その内実を私たちはどのぐらい知っているのだろうか。その裁判では戦争をめぐる何がどこまで明らかになったのか。三国同盟にしても、軍事機密費にしても、検察官の作った資料はまったく法廷に出ることはなく眠り続けた。
 そこに隠されていたのは、戦争の犠牲になった日本国民に対する犯罪や背信であったように思えてならない。そうした事実を戦後社会は問う事もなく、その結果、何もなかったように力を持ち続けた人物や制度があったのではないか。今一度、日本社会はそんなことを自問することが必要ではないか。そんな思いがしてならない。





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