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2018年9月13日 (木)

「軍事機密費」 ①

渡辺延志(ジャーナリスト)さんは「世界9」で述べている。コピー・ペー:
 「国際検察局」(IPS)。それは戦争犯罪人を東京裁判に訴追し、裁判を進めるためにGHQが設けた組織である。そこで作成された尋問調書を読み続ける中で、理解しにくいファイルにぶつかった。
 「Secret Funds」― 機密費 ――。
 陸軍の機密費の実態解明を命じられた米国人検察官が残した記録であり、相当数の政府や軍の高官を尋問しているのだが、何らの結論を得ることなく終了し、その内容が裁判に活用された形跡も見当たらない。
 何を狙って捜査は始まり、なぜ未完に終わったのか。
 そんなことが気にかかり、探索を重ねるうちに、国内外で何点かの関連資料にたどり着いた。
 それらを読み解き、総合すると、軍の機密費をめぐる思わぬ姿が見えてきた。
 陸海軍の戦費の中に盛り込まれた機密費は、戦争の現場で消費されただけでなく、政権中枢に還流されるシステムを通じて、東条英機らに上納されていたのである。
 政権と軍を貫く機密費をめぐる驚きの実態の一端を紹介したい。
   証言が暴く機密費の実態
 一連の捜査記録は米国の公文書館に残っていたもので、栗屋憲太郎氏らによって『国際検察局(IPS)尋問調書』(日本図書センター、全52巻)として1993年に刊行された。「Secret Funds]は資料集の最終巻に収録されている。これまで断片的に引用した書籍や著述はあったが、336p。あるこのファイルの全体像を示す研究を私(渡辺)はまだ見たことが無い。
 IPSは、1945/12/08 に発足し、戦争犯罪人の捜査を担当した。1946/04/29 に、日米開戦時の首相であった東条英機ら28人をA級戦犯として起訴し、1946/05/03 に公判が始まった。416回の公判を経て、判決は1948/11/12 に言い渡された。
 その中で、「Secret Funds」は1947年2月からほぼ半年の間に作られた捜査資料群である。
 尋問が、元陸軍省兵務局長の田中隆吉から始まったことにはわけがある。田中は東条陸相とのもとで兵務局長に起用されたが、日米開戦からほどなくして解任、少将の階級で予備役に編入された。戦争が終わると、1946年1月に『敗因を衝く――軍閥専横の実相』(山水社、のちに中公文庫に収録)を出版し、軍内部のでたらめな実情を曝露した。
 IPS は、その田中を情報提供者として重用した。証人として出廷し、かっての上司や同僚らを告発した田中は「日本のユダ」との異名を取る。
 田中は「使途を明らかにする必要はない」「何に使ってもいい」機密費の性格や、軍内部での使用手続きなどを検察官に開設した上で、尋問するべき対象として、軍や政府高官の名前をあげている。この「Secret Funds」は、田中が作った筋書きに沿って進められた捜査記録であった。
 田中が出鱈目を言っているわけではなさそうだ。確かに機密費は、軍のみならず政府を巻き込んで運用されていた。注目すべきは、政府中枢とも言える3人の内閣書記官長の尋問調書だ。
 尋問に応えるのは、平沼騏一郎内閣の田辺治通、阿部信行内閣の遠藤柳作、そして第2次・第3次近衛文麿内閣の富田健治の3人。今日の内閣官房長官に相当する官僚のまとめ役だが、閣僚ではなかった。田辺は逓信官僚、遠藤と富田は内閣官僚の出身である。
 政権が頻繁に交代し、覚えにくい当時の政治状況を概観しておこう。
 第1次近衛文麿内閣が発足して間もなく、1927年7月の盧溝橋事件を契機に日中戦争が始まる。戦争は拡大、泥沼化し、1939年1月に元検事総長の平沼を首班とする内閣に交代した。
 中国戦線の局面打開を狙い陸軍はナチス・ドイツとの同盟を志向したが、海軍が強く抵抗した。結論の出ない議論が続くうち、ドイツは8月に、日本が最大の敵と見なしていたソ連と不可侵条約を締結。「欧州情勢複雑怪奇」との声明を発して平沼内閣は総辞職する。
 その後継として起用された陸軍大将の阿部だったが、4ヵ月で退任。1940年1月にドイツと提携に慎重な海軍大将米内光政を首班とする内閣が発足したが、その年の7月に陸軍がその内閣を倒した。それを受けて発足したのが第2次近衛文麿内閣で、陸相に東条英機、外相に松岡洋右を起用し、わずか2ヵ月で日独伊3国同盟を成立。
 その立役者だった松岡を外した第3次近衛内閣が日米交渉で行き詰まり、1941年10月に東条内閣が誕生するという流れをたどる。
 平沼、阿部、そして近衛。日中戦争から日米開戦へと至る時期の3代の内閣書記官長の供述を総合すると、機密費から政治資金を捻出するからくりが見えてくる。
 内閣の機密費は年額10万円だったが、それとは別に、陸軍と海軍からそれぞれ年間500万円の調達枠があった―― というのだ。
 3人の書記官長の中で在任期間が1番長かった近衛内閣の富田は、「私がその役職にあった1年3か月で、覚えている実際の金額は750万円でした。陸軍と海軍の両方から受け取った合計です」と語っている。
 調達方法はいたって簡単で、金庫の中の現金が少なくなると陸海軍省に連絡し金額を伝える。すると現金が運ばれてくる。領収書は特になく、名刺の裏に「受け取りました」として金額と一緒に書いて渡すといった運用だったという。
 ここに登場する金額だが、1940年段階で考えると、10万円は今日の貨幣価値で1億円、500万円は50億円ぐらいに相当すると考えることができる。
 予算に計上された内閣の機密費は年間1億円だったが、陸軍と海軍の予算から計100億円を調達できたということになる。





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