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2018年9月18日 (火)

「軍事機密費」 ③―③

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 陸軍省に606万円、参謀本部に300万円が公債で蓄えられていたと説明している。「どうして蓄積されたのかは今日ではわからないが、歴代の長官が有事に備えて苦心して蓄えた<ヘソ繰り>と思われる。支那事変勃発後は、所用の資金は機密費として使用を許されたので、今日まで一切手をつけずに終戦に至った」と釈明しているが、
 敗戦の少し前まで陸軍次官だった陸軍中将の柴山兼四郎は「機密費が陸軍省に600万円ほど貯まっていた」と IPS の尋問に供述している。金額は一致し、その機密費であることに疑いはないだろう。
 公債は支那事変以前のものだとも説明している。盧溝橋事件のあった1937年時点で換算すると、陸軍省と参謀本部を合わせた906万円は今日なら250億円ほどに相当する。何とも豪勢な<ヘソ繰り>である。インフレもあり敗戦時には貨幣価値は低下していたが、それでも相当の規模である。
  → それを内輪で山分けしていたのだ。
 どのような人が受け取ったのだろう。高等文官を例にとると、敗戦段階での陸軍の高等文官は1000人前後と推定できる。特別保管金を受け取ったのは陸軍省と参謀本部で計188人なのだから、説明の通りにその一部である。 <気の毒な人> を外地も含めて選別することが可能だったとも思えない。参謀本部は10月15日で、陸軍省は11月末で廃止されるので、おそらくは東京やその周辺にいた人間だけが対象だったのだろう。均等に配ったなら1人当たり3500円になる。敗戦に伴い支給された退職賞与でみると、少佐への支給額に相当する。それは戦地手当なども含めた少佐の俸給1年分なのだから、かなりまとまった金額であったはずだ。
 機密費について国会で質問されることは結局なく、この衝撃的な「議会答弁資料」は、戦後空間を通して覆い隠されてきた。300万人を超える国民を死に追いやった戦争が終わったばかりで、<気の毒な人> が世の中に溢れている中、そうした惨状に最大の責任のある陸軍中央のエリートたちの、それが身のこなし方だった。
 機密費は、無謀としか思えない戦争を推し進めた政権と軍組織の、その権力の闇を支えたのではと考えられる錬金術であった。
 戦争が長引くにつれ余禄は拡大し、敗戦の混乱にまぎれ、巨大な規模の機密費が軍内部で闇の中へ消えていた。
 それだけの資金があれば、戦後もそれなりに有利な立場で再スタートすることができただろう。組織や思想、人脈などをめぐり日本の戦後社会は戦前からの強い連続性を特徴としている。機密費は、そうした社会を伏流とする地下水脈の一つだったのではとの思いがしてならない。



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