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2018年9月16日 (日)

「軍事機密費」 ③―①

続き:
機密費はどこから生まれ、どこへ消えたか
 それにしても大金である。どのようにして捻出したのか。それを探るために、陸軍省の機密費の推移を会計年度毎にたどってみる。
 1930年の予算に計上されたのは56万2025円だったが、実際に受け取ったのは30万8525円だった。前年に比べると55%もの減額だった。第1次大戦後の軍縮と、世界恐慌の影響で軍が使える金はぎりぎりまで削られていた。
 それが翌1931年に満州事変が勃発すると811万3950円に膨れあがり、1932年は、1233万3950円、1936年は733万4405円と推移する。
 日中戦争の始まった1937年には2771万9755円に達し、1938年には4530万9849円まで膨らむ。その後も2千万円台を推移し、対米戦争が始まった1941年に再び4千万円を超える。
 年間500万円という巨額をなぜひねり出せたのかが見えてくる。平沼内閣の段階では政権への還流はすでに始まっていたのだから、おそらくそれに先立つ第1次近衛内閣下、中国との戦争が泥沼化する過程で、急膨張した軍事予算を都合よく政治に利用する仕組みが編み出されたのだろう。
 陸軍省の「議会答弁資料」には、「大将直接にではなく、内閣に渡したものも半分位ありました」とも記録されている。陸軍省から運び込まれる現金を、東条はかなりの頻度、自分で直接受け取っていたことを物語る。
 東条にとって他人には任せたくない重要な業務だったのだろう。<権力の源泉>との思いだったのか。それとも知られたくない事実だったのだろうか。
 「議会答弁資料」は陸軍機密費の全体像も説明している。
 それによると、日中戦争の始まった1937年から敗戦までの陸軍機密費の総額は7億4820万円であった。1944年は1億円、1945年には4億円に上るが、「中国や南方での急速なインフレのためであり、日本国内においては本土決戦装備の飛躍的強化に伴うもの」と説明。機密費がなければ装備を強化できなかったとは思えない。→機密費はいったいどこへ消えたのだろうか。
 「昭和20年度(1945年度)第2期機密費交付ならびに増額配当に関する件」と題した添付文書は、機密費の内容を伝えている。1945/06/28 の日付と、陸軍次官の花押がある。機密費の交付先を示す以下のような内容。
  関東軍総参謀長         190万円
  支那派遣軍総参謀長   1億9000万円
  (情勢に即応する如く第2期以降の分一括交付す)
  南方軍総参謀長         6750万円
  (支那と同様、第2期以降の分一括交付)




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