« 「軍事機密費」 ②―① | トップページ | 「軍事機密費」 ③―① »

2018年9月15日 (土)

「軍事機密費」 ②―②

続き:
 さらに続けて、こうである。
 「夜金子家を問うての雑談中、故伯の病革る頃、日々百人前の寿司とおびただしき菓子、薬品等を、東条より届けたりと」
 金子家の「伯」とは明治憲法起草かかわったことで知られる金子堅太郎のことで、1942年に亡くなる直前の様子のようである。10億という金額は、今日なら兆という単位に相当し、にわかに信じがたい思いがするが、それなりの信憑性をもって政治家たちによって語られていたことを物語っている。
 「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝までは」などと国民に耐乏を強いた政権だったが、空前の金満、金権がどうやらその実体であり、政権中枢には金も贅沢品もあふれていたようだ。それも巷間語られたような阿片の密売などに頼らずとも、安定した公金から確保する 
仕組があったのだ。
 それにしても、何故このような機密費の流用が可能だったのか。
 そのからくりは戦前の軍事予算の制度にあった。  
 戦前の軍事予算には平時と戦時の2種類があった。毎年の政府の予算に盛り込まれるのが平時の軍事費であり、通常の部隊の維持や武器の整備、徴兵業務などに使った。
 戦争になると、それに加えて作戦活動のための戦費が必要となる。その調達には2つの方法があった。
 戦争の規模がさほどでなければ、一般会計の<臨時事件費>として扱った。山東出兵や満州事変はそうして賄った。
 戦争が大規模になると、<臨時軍事費特別会計>が設けられた。戦争が終わるまでを1つの会計年度と見做すのが特徴で、その間は何度でも予算を追加し、戦争が終わってから初めて決算をする仕組みだった。
 日中戦争の戦費は当初、<北支事件費>とし一般会計に計上したが、盧溝橋事件から2ヵ月後に特別会計が設けられ、そのまま米英との戦争でも継続して運用された。この特別会計は敗戦に至るまで8年間に亘り、その間に予算が12回追加されている。
 戦争はどのように進展するのか予測できないとして、臨時軍事費の予算の内容が具体的に説明されることはなく、国会にも、総額でいくらという規模程度のものしか提示されなかった。
 その一部として計上された機密費が政権中枢に還流していたわけだ。そして機密費にはもともと使途を報告する必要がなかった。
 幾重にも覆われ、どこからも見えないブラックボックスだったのだ。



« 「軍事機密費」 ②―① | トップページ | 「軍事機密費」 ③―① »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/413185/74214719

この記事へのトラックバック一覧です: 「軍事機密費」 ②―②:

« 「軍事機密費」 ②―① | トップページ | 「軍事機密費」 ③―① »